「ちゃん出発して大丈夫?この後高速乗るけど」
「高速!?」
車に戻った途端告げられた一言で木村の予定している移動範囲が自分の予想を大きく超えていると気付いたはシートベルトを引く手をぴたりと止めた。
そもそもの「お願い」から見切り発車で始まった本日のドライブ。明確な目的地があるコトすらにとっては初耳である。
「ドコ行くんですか?」
「オレの行きたいところ、かな」
明らかに具体名を避けている木村の物言いに、の丸くなった目が今度は静かに細められる。疑惑の視線がその横顔にじっとりへばりつくと涼しい顔を微かに崩して木村が身じろいだ。
「なんだよお!ちゃん、最初聞いた時行きたいところは特に無いって言ったろ?だから今日はオレの行きたいところ!ダメか?」
「ダメじゃないです」
けど。
はぷいと窓の外へ顔を向けた。
「今日の木村さんはいつもよりイジワルですね」
普段ならこの程度のジョーク、は軽快に返して会話の潤滑油に変えただろう。木村もそれを見越して軽口を叩いたつもりだったが、外を眺めるの後頭部は微動だにしない。木村の背中に冷たい汗が伝った。
「べ、別にそんなつもりは……。ゴメン。悪かったよ強引に決めて。やっぱ行き先はちゃんが決めてくれ。な?」
「大丈夫です。運転手さんにお任せします」
「ちゃん~!」
木村からの表情は窺い知れないが、それはにとっても同じ。なにも本気で怒っているワケではない。の意見に寄り添う場面が多い木村から珍しく立て続けに翻弄され、この瞬間素直に受け入れ難かっただけだ。
「お任せしますから」
背中から降ってくる焦った声に早くも反発心を奪われたは唇を噛んで込み上げる笑みを押し殺し、窓からゆっくり顔を離した。
「とびっきりのBGMで連れてってください」
その表情に刺々しさはなく、硬い表情を幾分和らげた木村はまだ半信半疑で首を縦に振るとコンソールボックスへ手を伸ばした。中に揃えて片づけられているカセットテープはケースを見る限りが分かるものだけでも洋楽、邦楽、ジャンルも様々だ。
「色々聴くんですね」
「最近また開拓しはじめてよ」
「へえ~。今はどういう系聴きます?」
「ちょっと前まではマイケル・ジャクソンにすげー凝っててそればっかだったケド、ここんとこはバラバラ……でも練習に持っていけるアガる曲が多いな」
そう言いながら黄色い袖がつまみ上げたテープがカーステレオに入れ替えられてゆく。再生ボタンのあと緩やかに流れてきたのは先程口にした「アガる曲」とは正反対のゆったりしたバラードだった。
「あ、これ」
「ちゃんが好きなヤツ」
「覚えててくれたんですか!」
嬉しそうにとろっと目尻を下げたを見てようやく腹の底から安堵した木村がぎこちなく笑った。