夜、仕事が終わり家に着いたタイミングで電話が鳴った。
「もしもし」
「もしもし……幕之内です」
慌てて電話に駆け寄り受話器を取ると相手は幕之内くん。明らかに聞こえてくる声が沈んでいるのが気にかかるけれど、多分それが今電話をかけてきてる理由なんだろう。
「こんばんは。珍しいね、どうしたの?」
「あの。折り入ってご相談があるのですが」
「うんうん、なんでも言って」
「その~。えっと、次の……」
なるべく優しく声色を作って用件を尋ねてみたものの、後に続く幕之内くんの声はもごもごと濁ってゆく。先輩ほら。横から幕之内くんをせっつく声も漏れ聞こえてきた。板垣くんも近くにいるみたい。バイト中かな。
「学くん、やっぱりこういうコトにボク達が口を挟んじゃ良くないよ」
「今更何言ってるんですか――
さんっ!!」
バサバサとノイズが耳元で鳴った後、取って代わった板垣くんの声が私を呼ぶ。
「板垣くん?」
「はい。
さんって今度の日曜忙しいんですか?」
板垣くんのいう日曜日はつまり10日。木村さんの誕生日の日だ。忙しいかと言われればもちろん暇ではないけれど……でも、普段あまり弱音を吐かない幕之内くんが側に板垣くんの付いてる状態で私に電話をかけてきたのだ、どうでもいい用事なハズがない。さっきの元気の無い声を思い出すと断るのは忍びなかった。
「夕方からなら空いてるよ」
「そうですか」
最大限大丈夫な時間を伝えたけど板垣くんの返事はやはり暗い。そりゃあ木村さんの練習時間を避けて木村さんと会うんだから、私の空いてる時間は二人だって練習があるに決まってる。ボクシングに関して詳しいワケじゃないけれど、日々の積み重ねが彼らにとってとても大事だって少しは分かっているつもり。会長がジムにいらっしゃる時間帯は特に貴重だよね。
「あの、ボクたちが口を出すコトじゃないのは重々承知なのですが、その、次の日曜日、なるべくたくさん時間を空けてほしいんです」
「他の日じゃダメな用事?」
「どうしても日曜じゃなきゃいけないんです。お願いします!」
板垣くんの声は真剣そのもの。こんなに頼み込んでくるなんて何に困ってるんだろう……でも。
「日曜日はね。実は昼間に木村さんと約束があって」
「そこをなんとか…………え?」
「木村さん、10日お誕生日なの。お祝いがてらお昼に遊びに行きましょって前から約束してて」
「前から」
「うん。だから出来る限り協力したいんだけど……ホントにごめんなさい!」
「なんだ~もぉ~~!」
「そうですよね!アハハ、良かったぁ」
どうしようもなくて素直に予定を伝え謝ると、なぜかあんなに暗かった二人の声が途端に明るくなった。
「ど、どうかした?」
「いや、いいんです!ごめんなさい
さん。もう解決しましたから!」
安堵のこもった笑い声をあげる二人とは逆に、いろんな謎を中途半端に置かれたままの私は腑に落ちない。話から推測するに木村さんのコトで何かあった、とか?
「もしかして木村さんなんか言ってた?」
「いいえ、何も」
「だったらいいんだけど。今回お店とか私が決めたからちょっと心配で」
「先輩が選んだところなら木村さん、どこだって喜びますよ!」
「……ふふっ、幕之内くん、宮田さんとおんなじコト言ってる」
「え!宮田くん?!?!」
板垣くんの声に混じってどこか聞き覚えのあるフレーズが滑り込んできて、ぽろっと漏らした感想に今日一番の大きな返事が返ってくる。結局幕之内くんは何を相談したかったのか分からないままこの後じっくりと宮田さんの近況を聞かれるコトになったのだった。
(10月10日まであと3日)