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「赤へ向かうせんろは赤」

千堂武士

 


※方言夢主



「星くん、一日だけ彼氏になってください」
「アカンに決まっとるやろ!!」
の頼み事へすかさずNOを叩きつけたのは道路脇のポストと見紛うほどに真っ赤な顔で固まっている星……の隣で目を吊り上げている千堂だった。
「なんで武士に断られなあかんねん」
「そ、そらワイはコイツの保護者みたいなモンやからな。ちゅうかこそなんや!カレシ?しかも一日だけとか意味分からんコト言いくさってからに。なぁ星」
「なっ、何言うてはるんですかっ!さん!!!」
「おっそ」
「遅っ」
調子外れの大声に驚いた猫がどこかへと逃げてゆく。「千堂商店」の看板を掲げる小さな駄菓子屋のそばでは三つの影が何やら風変わりな話題で盛り上がっていた。
「で、どういうコトか説明してもらおか」
相変わらず睨みを利かせる千堂の前で俯いたは手に持っている細長い駄菓子のゼリーをちゅっと吸い込み、やがて重々しく口を開いた。
「親にお見合いしろって言われた」
「……お見合い?!」
千堂と星は訝しげに顔を見合わせる。
「なんやそれ。全然おもんないで」
「ボケとちゃうわ!」
大きく振り下ろされた細い腕を軽々避けた千堂はの額を人差し指で小突き、さらに声を張り上げた。
「アホ言うなや!ワイはそないな冗談好かんで!」
市内の大学に通うため近くのアパートで一人暮らしをしているは千堂と同い年。世間的にまだ結婚を急ぐような歳ではない。本人に強い結婚願望があるならさておき、わざわざ親から見合い話を迫られる理由なぞあるだろうか。その答えは少なくとも千堂の理解が及ぶ範囲には見当たらなかった。それゆえ彼女の言葉を初めから間に受けていなかった千堂だったが、
「……しゃあないか。武士、うちの実家知らんもんな」
一向に崩れないの厳しい表情が震わせた空気は、彼の認識を正すのに十分な重みを伴っていた。
「あのー」
動揺の色を滲ませる千堂の横から恐る恐る二人の間へ割って入ったのは星だった。
さん、前に家京都や言うてましたよね。もしかしてご実家、お寺さんでっか?」
「ご名答」
お寺の一人娘なんや。まだ状況の飲み込めていない表情の千堂に向かってが静かに呟いた。
「自分で言うのもなんやけど、うちんち結構イイトコのお寺さんでな。実家廃寺にせんためには継いでもらう相手をうちが捕まえてこなあかんねんケド今までいっぺんも男の人連れてきいひんから親は焦ってんねん。で、お見合いや」
は食べ終わったゼリーの容器を手元のレジ袋に入れ、次にガムを取り出した。箱を開けるとぷんと辺りに安っぽいイチゴの香りが浮き上がった。
「よう分かったね、星くん」
「うちも実家道場なもんで、その手の話はしょっちゅう聞くんですわ」
「ナルホドねぇ。……絶対イヤやんな、お見合いなんて」
消えてしまいそうな声。消えかかる視線。ほんの一瞬、甘ったるい匂いに紛れて縋るような瞳に千堂を映したはゆっくり瞬きをしてからもう一度星の方を向いた。
「そういうコトで星くんに一日彼氏のフリをしてほしいんやわ!さすがにうちの親も彼氏連れてきた娘にお見合いさすようなコトはないやろし」
「ちょお待てや!!」
するとの視線を追いかけて、今度はしばし静観していた虎が吠えた。
「なんや武士、まだ分かってへんの?」
「分かっとるわ!お見合いしたないから親にカレシいるフリしたろってコトやろ?でもなんで星なんや」
「はい?」
「……なんでその役目ワイちゃうねんて聞いとんのや!」
強い口調の裏に潜むのは、紛れもない嫉妬の二文字だ。なぜ自分でないのか。自分がいるにもかかわらず恋人の代役を後輩に頼むのか。千堂に宿る感情が単なる「選ばれなかった不満」だけでないのは千堂にとっては例え「振り」でも自分以外の誰かと特別な関係を結ぶのが許容できない唯一の相手だから。
「そらお願いするからには親受けのいい人がええからなぁ。武士は、んー。すこーし「賑やかすぎる」っていうか……星くんの方が適役や思て」
そしてにとって千堂は恋人の「振り」だけじゃ寂しい、そう感じる唯一の相手なのだった。
「けったいな言い方しくさって。これやから京都のモンは気に食わんねん」
「あーこわっ。大阪のお人はきつうてかなんわ。星くん、武士はほっとこ。さっきのコトやねんけど、そういうワケで一日付き合ってもらえへんかなぁ?」
「自分は、その……」
尻すぼみになった声は徐々に判別不能な別の言語へと変わってゆく。YESかNOか。答えを探るべく頬を赤らめ口をパクパクさせている星へは一歩近づいた。星くん、とが再び声をかけたところで、帰ってきた猫がまた逃げてしまう程の激しい音を立てて星は二、三度自身の両頬を叩いた。
さんすんません!やっぱり自分、武士さんを裏切れません!!」
続いて地面に擦れそうな勢いで頭を下げた一連の行動に圧倒されはその場で飛び上がった。
「なっ、なんなん?裏切る?!」
「あっ……いやそれは」
こみかみに冷たい汗が伝った星へ間髪入れず千堂の絶叫が振り落とされた。
「ええコラ星ィ!今ワイがに惚れとるんバラそうとしたやろ!!」
もし仮に、逃げた猫が今ここにいればどんな顔をしていただろうか。きっとこんな顔だ。そんな表情では固まった。
「…………なんて?」
理解が追いつかないまま絞り出したの震える声を最後に訪れる、長い長い沈黙。たっぷり時間をかけてそれを破ったのは同じく目を見開いたまま時が止まった千堂だった。
「うわ、言うてもうた」
「し、信じられへん!こんなしょーもない告白!!」
「ワイやてなぁ……だぁぁっ!星!」
「はいっ!」
「柳岡はんにジム着くん遅れる言うとけ!!」
乱雑に頭をかいた千堂はの手を握ると急に歩き出した。乾いた音を立て滑り落ちるレジ袋。それを拾う猶予も与えず、千堂は行き先は告げぬまま人ごみをかき分け早足でどこかを目指し進んでゆく。
「どこ行くねんな武士」
「梅田や、梅田!」
「梅田?!」
千堂の答えはここから地下鉄でおよそ10分の繁華街。意図が汲み取れないは疑問符を浮かべて千堂の背中を追いかける。
「ワイはこう見えてロマンチストやからな。惚れたオンナに告白する時は場所なりムードなり事前に考える男や」
「はぁ」
「……ベルト獲って、ワイが強い男やて証明したらに梅田の観覧車でチューしてから言お思っとったんや」
「ち、チューって」
「ワイの前を歩くなや!!」
顔を覗き込もうとさらに駆け足になったを千堂は肩でブロックして自分の後ろへ押し下げる。
「人に抜かれんのは嫌いや」
人に並ばれるのはイヤで、抜かれるのはもっとイヤ。他人には理解が難しい千堂特有のルールの後に続く声がかろうじての耳に届けられた。
「せやから、今からやり直しに行く」
やり直すとは。梅田に行って、観覧車に乗って。それで――?
ほどなくしてやってくるであろう未来を想像しての頬が色を変える。
それは髪の隙間から覗く千堂の耳と、観覧車と、徐々に近づく地下鉄の看板と同じ色。

この先は二人を運ぶ電車のように千堂の言った筋書きの上をただ走っていくのみ。


09:20 / 2022