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「なまえと伝票」

間柴了

 


ある晴れた昼下がり。街を行き交うサラリーマンと同じく、トラックで彼らの横を通り過ぎる間柴もまた勤務中であった。運送会社で配達員として働く間柴は積まれた荷物を送り先へ届けて回る。今日も自分の担当エリアにある雑居ビルの傍らへトラックを停めると、とある一室の入口に置かれた内線電話へと手をかけた。
「あ、オニーサンおつでーす」
「キサマの兄になった覚えはねえ」
社名を告げれば奥からボールペンを手にした一人の女性が姿を現した。平日訪れればほぼ100%間柴の応対をする彼女はこのビルに事務所を構える企業の会社員で、名前は。なぜ間柴が知っているかというと、毎回荷物を引き渡す際のサイン欄にそう書かれているから。一見変わった様子のない彼女だが、口を開けば間一髪敬語のカテゴリに滑り込むか否かのくだけた物言いと、指先に施された派手なネイルがいわゆる他の「OLさん」とかけ離れたイメージを纏わせていた。しかし間柴にとってそれが不快なワケではない。週に数回、下手な知り合いよりも多く顔を合わせていると嫌でも相手の人となりが見えてくる。は良くも悪くもフラットだった。相手が上司に対しても後輩に対してもさほど態度を変えない。その贔屓無しな態度は見ていて嫌な気はしなかったのだ。
「兄ってその『オニーサン』じゃ……あれっ荷物は?」
「そっちが呼んだんだろうが」
「はい?」
「集荷だ」
短く言い放った間柴の返答に呼応してはポンと自分の手を打った。
「あ、課長の書類?!」
「知らねえよ」と心の声が聞こえてきそうな間柴の表情を知ってか知らずかは嬉々として続きを話し始めた。
「なんかソッコー送んなきゃダメな書類があるんですって。ウチの課長、今日朝からめちゃくちゃ部長に怒られてたんですよ。ぷぷっ。いっつも私たちに仕事押し付けてサボってるからここだけの話「ざまあみろ」ってカンジなんですケドね~。って、こーゆーのは口に出しちゃダメか」
黙ったままの間柴に対してよどみなく語られるの最新ニュースが終わると、は間柴へ預ける書類を取りに奥の執務スペースへ引っ込んでいった。が、すぐにプリプリ怒って戻ってきたの手に握られていたのは相変わらずボールペン一本のみだった。
「まーたタバコ休憩?!あ、オニーサン!多分下の喫煙室にいるんですぐ呼んできます!どの封筒か分かんなくって……スンマセン!」
どうやら彼女のいう課長は事務所に不在らしい。大仰に目の前で手を合わせたは間柴の横を通り過ぎ、パタパタと事務所の外へ駆けて行き――またもやUターンして間柴の前で足を止めた。
「ココ!座って待っててください!」
入り口近くのドアを開けて間柴を中へ促す
「結構だ」
「遠慮は無用です!あと、これ、お茶もどーぞっ」
社員の休憩所らしき小部屋の椅子へ半ば強引に間柴を座らせ、は脇に備え付けられたサーバーから紙コップにお茶を注いでテーブルに置くと今度こそ慌ただしく事務所から飛び出していった。
「すぐ戻ってきまぁーす!!」
「……騒々しいヤツだな」
の足音が遠のき、先ほどまでのにぎやかさが嘘のようにしんと静まり返る。うっすら電話の鳴る音や人の話し声が漏れ聞こえてくるあたり執務スペースに他の人間もいるようだが代わりに間柴の応対をする気配はなく、しばらくじっとしていた間柴は居心地の悪さを払拭するように目の前のお茶に口を付けた。その時だった。
「なあさ……誰だねアンタ」
「あ?」
とは打って変わりふてぶてしい足音が間柴のいる部屋のドアを開けた。目が合ったのは小太りの男性……歳は間柴の所属する東邦ジムの会長と同じくらいだろうか。神経質そうな顔つきの男だった。その男は間柴を見るなり怪訝に目を細めて自身の顎をさすった。
「……集荷に来たんスけど」
「ああ、配達屋か。そいつがどうしてココで茶を飲んでるんだ」
「それは」
「そこのやつはウチの社員用に置いてるんであって、ヨソが勝手に飲んでいいモンじゃあないんだよ。あのねえ、おたくドコの会社?」
間柴が口を挟む隙もなく男は矢継ぎ早にまくし立てる。今ここに座っているのも、手に持ったお茶も、間柴が無断でしたコトだと決めつけているのは強い言葉端から明白だった。ああ、「また」か。何か奇怪なものでも見るような男の目は親戚や転々と渡り歩いた昔の職場の上司達……これまで間柴が散々見てきた大人達と同じ歪み方だ。間柴が軽くにらみ返すと脂肪がこってり乗った丸顔がびくりとひるんだ。
「なんだその反抗的な目は!この件、報告させてもらうからな!」
「早く報告しなきゃなのは課長じゃないんですかぁ?」
間柴が立ち上がったのと同時に間延びした別の声が割って入った。男の後ろから姿を現したが長い爪で壁を叩きながら男――「課長」の顔を覗き込む。
「田中運送のオニーサン、朝課長が怒られてた書類をわざわざ取りに来てくれてるんですケド。っていうか自分で時間指定して取りに越させたのに?待たした上にしょーもないコトで責めるのヤバくないですか?」
「だからといって勝手にウチの備品を使うのはきちんとケジメとして報告を」
「あ、座ってもらったのもお茶出したのも私ですよ。何か勘違いしてません?」
「……む」
「書類早く渡してあげてくださーい」
始終圧倒し続けたに、課長と呼ばれた男はふてくされた顔でバッグの中にある封筒を押し付けそそくさと執務スペースへ去っていった。
「あ!課長!オニーサンに謝ってくださいよぉっ!!……嫌な気にさせちゃってゴメンナサイ。弁解にもならないケドあんな感じなの、ウチであの人だけなんです」
「別に。このくらい言われ慣れてる」
蛍光灯の光受けて一層輝く十本の爪がの膝の上で揃えられる。深く頭を下げたから封筒をひったくった間柴は伝票にペンを滑らせながら、珍しく自分から口を開いた。
「それにしてもお前、仮にも上司にズケズケとよく言うぜ」
「何と言いますか、ああいう勝手なイメージで人に難癖付けたりするのすっごいイヤなんですよね。ほら、私もこんなだからあるコトないコト結構言われたりするし」
「確かに言われてそうだな」
「ちょっとは否定してくださいよ!……でも、相手が誰であれ納得できないコトは黙ってらんないです」
妹である久美もここぞという時には度胸があるが、彼女もなかなか肝が据わっている。誤魔化さずはっきりそう言ったの言葉を聞いて間柴は深くかぶり直した制服のキャップの奥で人知れず笑みをかみ殺した。
「バカげちゃいるが、オレは好きだぜ」
「す……!」
「そういう反骨心」
「あ、そうですね、ハイ」
集荷の控えを突き付け出口へ向かう間柴の丸い背中に、の足音と声が跳ね返る。
「わ、私もオニーサンの不良オーラと丁寧な仕事のギャップ、結構好きですよ。時間指定は絶対に送れないし、荷物が重くても、多くても雑に扱うところ見たコトないです。あとオニーサン、伝票の字も綺麗ですよね」
「間柴だ」
「ん?」
「お前の兄になった覚えはないと言っただろう」
間柴は一瞬だけを横目で見やるとそれだけ言い残して事務所を出ていったのだった。

「名前なんて、とっくに知ってるし」
「うぜえ。喋りすぎた」
出入口の前で棒立ちになる彼女。狭い車内に戻り俯く彼。それぞれ一体何を思うのか。


01:17 / 2022