「ほらよ」
週明けの朝、越野君がくれた「今日からはじめるバスケットボール入門」は手垢一つ付いてない青色の表紙がピカピカと光っていた。
「越野君これ新ぴ……」
「ちげーよ!」
「ひっ!」
「違う」
「ハイッ」
勢いに押されてそれ以上何も聞けず受け取ってしまったけれど、授業中こっそり開いたページの最後にある「第三版 1992年」の文字が私の憶測を確信へと変えてゆく。と同時に私は大きなギモンを抱えることになってしまった。
越野君が分からない。
席が近くなって最近よく話す。でも仲がいい?訳じゃない。
だって私と話す時の越野君はいつも眉間にしわが寄っていて、この前は面と向かって「どんくせー」と言われた。きびきびしてる運動部の越野君にしたら文化部の私みたいなのは性にあわないんだろう。
なのにバスケットのことは色々と教えてくれるし、お下がりだと言っておそらく新品の本を譲ってくれたりする。なぜ?その理由は今日一日分の授業をたっぷり使って考えたけれど思い浮かばない。
きっと……きっと越野君は私が思ってる以上にバスケットが大好きで、例えばアイドル好きの子が仲間に引き込もうとコンサートに誘ってくれるような、そんな感覚なんだと無理やり自分を納得させた頃にはもう放課後になっていた。
体育館の近くに差し掛かるとちょうど号令の笛の音が聞こえてきた。
「よぉーし、5分休憩!」
田岡先生の声だ。
「やば、他の子達に先越されちゃう!
、あたし行くね!」
「うん」
笛の音にハッとして仙道君を探しに走っていった友達の手には通学カバンと見慣れないランチバッグが一つ。中身はレモンのはちみつ漬けだとさっき教えてもらった。
そう、今日も今日とて仙道君にアタック中の彼女は差し入れを用意してきたのだ。
「
もライバルに負けちゃダメよ!」
そして私の手にも購買で買ったばかりの青い缶がレジ袋の中で早くも汗をかいている。
「だからぁ、私のはただのお礼なんだってば」
この差し入れ作戦に乗っかって私も急遽、越野君に飲み物を持っていくことに決めた。もちろん私は彼女と違って言葉通り「もらった本のお礼」として、だけども。
制限時間は5分。急いでそばにある校舎側の出入り口から中を覗き越野君を探す。田岡先生の近く。人が固まってるゴール下。うーん、いない。バスケット部は部員が多いから人探しも一苦労だ。
「あ、あの」
「はい?」
ぐるりと見回すとちょうどバスケット部のTシャツを着た男子が校庭から歩いてくるのが目に入ったので近寄り呼び止める。くりっとした瞳が不思議そうにこちらの方を向いた。
あ、1年の「ヒコイチ君」だ。
何度も練習を見学していると同級生以外の部員も多少は覚えるもので、他の部員と違いマネージャーぽい仕事もしていて――まあ理由はそれだけじゃないけど――よく目立つヒコイチ君は自然と名前と顔が一致するようになっていた。
「あっ、仙道さんならあっちにいはりますよ」
「違う違う、仙道君じゃなくって!」
さすがは陵南のエース。私の様子を見て何かを察したヒコイチ君が先回りした答えに思わず苦笑する。何度も何度も聞かれてるんだろうな、仙道君の居場所。しかし残念ながら私の探し人は彼じゃない。
「これ、2年の越野君に渡しといてほしいんだけどお願いしていい?」
「越野さん……ですか」
するとヒコイチ君は困ったように眉を八の字に下げて、少し黙った。
「ちょっと待っててください。越野さん呼んできます」
「え?悪いよ休憩中なのに」
遠ざかる背中を呼び止めるけれど止まってくれる気配は無い。
「いや。その方が諦めつくと思いますんで。あ、先輩のお名前……」
「
、です」
「
さんですね」
あっという間に体育館へ入っていったヒコイチ君とそれ以上言葉を交わすことは叶わず、しょうがなく出入り口のそばに戻り彼の行き先を視線で追いかけた。
ヒコイチ君は中をキョロキョロと見渡すと隅っこの方へ近づいていく。その先を目で追えば越野君が用具入れの前あたりで3年の先輩と話しているのが見えた。ヒコイチ君が越野君に声をかけて、多分私のことを伝えてくれている。越野君は一度反対側の出入り口に顔を向けた後、ヒコイチ君が指さしたこちらの方をぶんと振り向き、大股でずんずん近づいてきた。
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