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ある日忽然と姿を消したの一家の真実など当然公表されることはなく、「村外れで獣に襲われる不慮の事故」として共同墓地へ三名の名前が新たに刻まれることとなった。がライカンの餌にならず墓に埋葬されたのは村人たちへの建前だったようで、それ故どういう理由かカドゥ移植実験が失敗とみなされたが実際成功して生きていたとしても村に戻るわけにいかず、また、今後ミランダに与える情報は極力少ない方がいいという結論に至り他の四貴族を含めなるべく人の目に触れぬよう、はハイゼンベルク工場の敷地内のみで生活することを余儀なくされていた。
慣れとは怖いもので当初工場に置かれたゾルダートに怯え、死体の改造に憤慨していたも月日が経った今ではハイゼンベルクの手伝いをするまでになっていた。

けたたましいベルが鳴り響いて、無骨な指が手探りで音源を探し彷徨う。一日のほとんどを工場や外で過ごすハイゼンベルクだが、寝るときだけは工場裏にある自分の住居に戻っていた。工場には死体を改造するための折り畳みベッドしかないからだ。
もやのかかる意識を引き摺り、なんとか探り当てた音源の盤面を見やるといつもの起床時間より30分ほど遅い時刻を指している。
!」
ハイゼンベルクは毎朝起こしにくる同居人の名前を叫ぶが返ってくる声は無い。
!いねーのか!!」
ベッドから起き出し、現在彼女が自室として使っている向かいの部屋のドアを勢いよく開けた。
「勝手に開けないでくださいよ!!」
などと怒号が飛んでくるなら彼にとって逆に好都合だった。しかし、明かりの消えた彼女の部屋から人の気配は何もない。そんなに広くない邸内をうろつくが、他人を置くのは煩わしいと元々使用人を雇っていないハイゼンベルク邸はどこもかしこもしんと静まり返っていた。
居心地の悪さを覚えたハイゼンベルクはすぐさま工場へ向かった。の行動範囲は前述の通り相当限られている。家にいないなら工場にいるとしか考えられず――とはいえ彼女がハイゼンベルクに断りもなく好んで工場に出向くことはほとんどないのだが――の居そうな場所に当たりをつけ入口から階段を降りた先の作業スペースを確認するが、やはり姿はない。普段なら笑い飛ばすようなナンセンスな仮説も、今ばかりは大きな可能性を孕んでハイゼンベルクの思考を蝕んでいた。地下か?でも何のために。ぞわりと粟立つ感覚をかき消すかのように転がるジャンク品を力任せに蹴り飛ばすと、同じタイミングで彼の背後から素っ頓狂な声が響き渡った。
「わっ!!もーびっくりしたー!」
弾かれたように振り向くと、スカートを揺らして入口から駆け寄ってきたのはまさに彼の探していた人物だった。
!」
「おはようございますハイゼンベルクさん。ちょうど今起こしに戻ろうかと……」
呑気にハイゼンベルクへ近付くのベルトがカタカタと音を立てる。突如強い力でバックルから引っ張られたは軽く宙に浮きながらハイゼンベルクの胸の中へ吸い寄せられていった。
「テメェ!一体どこほっつき歩いてやがった!!」
顔を上げたは、息巻くハイゼンベルクに負けない表情で眉間に皺を寄せている。
「あの。昨日私言いましたよね?」
「あぁ?」
「今日は朝一でデュークさんが商談にいらっしゃるから先工場行きます、って」
彼女の言葉を聞き、ふと彼は昨夜のことを思い出した。ミランダの虫唾が走る「家族ゴッコ」に加えドミトレスクからこってりと嫌味を塗りたくられ、岩窟教会より最悪の気分で帰宅したハイゼンベルクは夕食もそこそこに酒を煽り、ベッドへ横になったのだった。酔いが回りうとうとした頃、ドア越しにと言葉を交わしたおぼろげな記憶……「明日デュークさんが来られるので……」「ああ、頼む」そんなやり取りを
「言ってねぇ……ような、言ってたような」
「あのですね」
の眉間の皺がさらに深くなったのを見て、これ以上逆撫でするとろくな事にならないと踏んだハイゼンベルクは観念して両手をあげた。
「悪かった」
「もういいです。それより、前に注文されてたエンジン届いてましたよ。鋳造室に置いてますけど、朝食どうします?」
「そうだな。先にブツを見ておこうか」
「そう言うと思って食事持ってきたんです。下降りましょう」
「デュークは」
「今さっき帰られましたよ」
デュークから買い付けた食品や工具などが雑多に置かれたままのエレベーターで地下へと降りる間、ハイゼンベルクはようやく寝起きの一服も忘れていたことに気付き上着のポケットに手を突っ込んだ。
「火」
「はい」
鋳造室の椅子に腰かけたハイゼンベルクの指先へが軽く指を弾く。その動きに合わせてシガー用の長いマッチがポッと小さく音を立てた。これがカドゥよりもたらされた彼女の能力だ。
初めて彼女の「火」と邂逅したハイゼンベルクの見立ては概ね正しく、の体内にはカドゥの影響により新たな分泌腺が生成されていた。空気に触れると発火する分泌液が作られており、爪の生え際のあたりから噴射できるといった次第だ。ただし幸か不幸かもっぱらキッチンコンロと葉巻、冬場の暖炉の火付けくらいしか活用されていないが。
カッターで切った葉巻の先を丁寧に炙って口を付ける。時間をかけて転がした甘い煙が全身に行き渡ったところで葉巻を咥えたまま脇に置かれたターボプロップエンジンへ近づいた。払い下げの品にしては悪くない。状態を確かめながらそのままもう一吸い。すると今度は煙に混じって別の香ばしい匂いが彼の元へ漂ってきた。
「あのなあ!それやめろって言ったろ!!」
「えー」
ハイゼンベルクの視線の先には鋳物を鋳造するための機械……の鉄板に載せられた朝食用のパン。匂いの根源はこれだ。テーブルを叩いて抗議するハイゼンベルクに対しは悪びれた様子も無くつんと口をとがらせながらトングでそれを皿に移し替えた。
「まったく下らねえことばかり次から次に思いつきやがる」
「ちゃんと調理用の鉄板敷いてますよ」
「そういう問題じゃねえ。商売道具をオーブン代わりにするなっつってんだ」
「でもパンは温かい方がおいしいじゃないですか」
ずい、との差し出す手のひらサイズの皿では先ほどのパンがほこほこと湯気を立ちのぼらせ身を寄せあっている。
「今日はライ麦パンですよ、ハイゼンベルクさん」
いつの間にかもう片方の手に灰皿を携えにこりと微笑むにフンと一息威嚇をしたのち、ハイゼンベルクは葉巻を置いてパンをひとつ引っ掴み、大口で押し込んだ。は満足そうな表情で次にコーヒーの入ったカップを側のテーブルへ置くと、自身の朝食を取り分け別の作業台の前に腰を下ろした。
ハイゼンベルクと。二人だけで作られたこの小さいコミュニティに流れる月日は恐ろしい程優しく、そして穏やかだった。