「あ、そう言えば私に用事ありました?」
お互い黙々と自身の仕事をこなしていた二人だったが、皿の上にある最後の一かけらを冷めたコーヒーで流し込んだはふとハイゼンベルクへ声をかけた。
「なぜだ?」
「さっき怒って私を探してたじゃないですか。急ぎの用でもあったのかなと思いまして」
「なるほどな」
YESともNOともない彼の返事はの問いを解決するに至らず、つぶらな瞳は彼を映したまま後続の言葉を待っていたが部屋にはいつまで経っても騒がしい機械の稼働音が響くのみ。彼にその気がないと分かると、やがてはメンテナンス待ちのリアクターへ再び向き直った。
「てっきり出てっちまったかと思ったよ」
そんなやりとりも忘れかけた頃。まるで宇宙との交信のような速度での耳に届いたのはいつもの彼らしかぬ消極的な台詞だった。
「そんなに信用されてなかったんですね、私って」
「いや、お前の物堅さは充分認めてる」
墓からを引き上げたあの日、ハイゼンベルクの持ちかけた「協力」とは彼の中で「利用」と同意義だった。あくまでは手駒、使役する側が自分。なので彼女の役割はミランダと対峙する際の加勢とせいぜい情報共有や兵器開発の助言くらいにしか考えていなかったのだが、は助けてもらった恩返しとしてあらゆる雑用を自ら買って出た。元々毎日欠かさず教会へ礼拝に訪れていたような律儀さを持つ人物だ。当初ハウラーの制御装置を装着させるのにも怯えて腰を抜かしていた彼女は今や持ち前の生真面目さでハイゼンベルクに引けを取らない仕事をこなせるようになっている。
「俺の想像以上によくやってるよ。ウソじゃねえ」
「まあ、少しは役に立たないと。私が今こうしてられるのもハイゼンベルクさんのおかげですから」
「そーいうとこだ。お前のそういうバカ真面目なところが信頼に値する」
「なら変な心配しないてください。ミランダを倒すまで逃げる気はありませんし、約束は守ります」
「そうだな、俺達は一蓮托生だ。『ミランダを倒すまで』は。だろ?」
「嫌な言い方」
ハイゼンベルクは横にあるターボプロップエンジンを軽く叩き、努めて明るい声色でに近づいた。
「なあ?これ見てくれ」
が手を付けているリアクターをハイゼンベルクは勝手に追いやり、そのスペースへ先ほどまで彼が線を引いていた製図を広げた。
「試作機の図案だ。あのエンジンを移植してチェーンソーのプロペラをくっつける」
「……見るからに課題多そうですけど」
「そう言うなって」
くくっと喉を鳴らすハイゼンベルクに合わせて困ったように笑うの表情はぎこちなかった。彼が放った言葉の真意は何一つ分からないまま、おそらく故意にはぐらかされたからだ。しかし話題を引き戻すこともできず、渋々ながらハイゼンベルクが振った試作機の話題に乗っかる彼女だったが、意欲的な彼とは裏腹にこちらも問題点ばかりが目に付いてあまり乗り気ではない。
「上手くいけばあいつを再生不能になるまで切り刻んでやれるぜ」
「でもこんなピーキーな改造してメンテもランニングコストも今後大変ですよ。成果に見合いますかね」
「別にいいじゃねえか。要はミランダをぶっ殺せればいい。手がかかるのもそれまでの辛抱だ」
ハイゼンベルクの反論を受け、は小さく唸ってしばし口を閉ざした。躍起になって作っている死体騎兵はどれもミランダを倒すため。その後の行き先など考えたことも無かったが、ハイゼンベルクが口にした明確な期限がは少し引っかかった。
「それまで……ってことはこれらってその後全部廃棄ですか」
「さあな」
「え?」
「が、テメエが面倒見るのは少なくともそれまでって話だ」
「ハイゼンベルクさん」
ハイゼンベルクの意図を理解したのいびつな笑顔が音も立てず崩れてゆく。澄んだ瞳は彼を映しながら睫毛を震わせさみしく揺れていた。
「どうせカタがついたらこっから出てっちまうんだろ」
「私は!!」
ハイゼンベルクが言い終わらないうちには声を張り上げ立ち上がった。
「貴方が許してくれるなら、私は……」
「『私は』なんだ、ん?」
「……いえ」
立ち尽くしたは吐息にも似た否定を吐き出し、作業台の工具を片付け始めた。
「今はあの人への復讐を果たすことだけが本懐です。その後どうするかなんて……考える余裕ありません」
部品を取ってきます、とが部屋を出て行った後、一人取り残されたハイゼンベルクは古びた椅子の背もたれにのけ反り、天井を見上げた。
ここ最近、がミランダへの呪詛を口にする機会が増えた。「ミランダを倒すのが使命」「家族の仇を討つため生きている」まるで誰かへ言い聞かせるように。その真理はおそらく自分に対して何らかの感情を持て余しているためだと、より差し向けられる縋りつくような視線からハイゼンベルクは以前より感づいていた。また、同じ感情が自分の胸の内に住み着いていることにも。ハイゼンベルクにとって「力」のアップデート品だったは無念を分け合える唯一の相手となり、いつしか少し姿が見えないだけで心乱されるほど大きな存在に成り代わっていたのだ。
所詮は期限付きの関係、時が来ればはこの工場から去り、鋳造室からパンとコーヒーの匂いが漂うことはなくなり、朝自分を揺り起こす柔らかな手の感触も消えてなくなる。その日が怖いと感じるようになったのはいつだったか。もう思い出せない。
しかしはどこまでも愚直だった。天秤の片側が亡き家族への義理より下に振れることをかたくなに拒んでいた。そんなを完全に手に入れるには、受動的に頷かせるだけでは駄目だ。彼女の口から直接言わせなければいけない、自分を求めていると。ハイゼンベルクはそう考えていた。それは裏を返せばの好意が不自然な生活環境の中で芽生えた仮初かもしれないという懸念をハイゼンベルク自身が払拭したい思いの表れでもあったのだが。
「ったく……さっさと吐いちまえってんだ、強情女」
彼の口から零れた鈍色の粒は彼女に届くことはなく、立ち上る紫煙と共に薄暗い部屋へ静かに溶けていった。