「女……か?」
昨晩墓地から掘り出した実験の素体候補の中に、女の死体が紛れていた。状態はすこぶる良好……だが、惜しい。非力な女は素体として不適だ。一応一通り確認するも、木の枝みたいな指に明らかに筋力のない細っちい腕。これではいくら改造を施したところでこの工場にある一番軽いドリルすらまともに扱えやしねえだろう。あとで奴等の餌にでもするか。そう思って部屋の角へ放り投げた時だった。
「…………ぅ」
あろうことかその女は微かに呻き声をあげて身じろいだのだ。
「こいつはたまげた。生きてやがる!」
葉巻を片手に駆け寄り様子を観察する。おもむろに開いた虚ろな目が俺を捉えると、女はひどく怯えた顔をして部屋の角まで後ずさった。
「貴方はハイゼンベルク卿……!!」
「どうも。よくご存じで。つっても俺を知らない人間はここにいねえな」
女が逃げた分だけゆっくり距離を詰める。するとそいつは意外にも、近くに落ちていたスクラップをこちらに投げつけてきた。
「こっ、来ないで!」
「おいおい、アンタ村の人間だろ?ちったあ俺に敬意があってもいいんじゃねえのか」
「敬意、ですって?」
またもや飛んでくるスクラップをひょいと避けりゃ、そいつの表情には恐怖の中に俺に対する憎悪が明らかに見え隠れしていた。妙だ。村の連中なんてのは、ミランダや俺達四貴族の姿を見ればバカみたいに頭を下げるしか能のない奴等ばかりのはずだが。
「父を化け物にして、母を殺して……よくそんなことを!」
「ほお、なるほど。何か見ちゃいけねえモノでも見ちまったクチか……っと」
俺が話す間にも女はこちらへあれこれと投げ散らかしてくる。とはいえ軌道はめちゃくちゃで今のところ命中率は0%だ。
「いい加減諦めな。いくら抵抗しようが当たりゃし――」
その時だ。ガコン、と背後から鈍い音がした。振り向けば目の前に迫り来る鉄材の山。ああ、後ろに立てかけていたやつだな。
下敷きになるすんでのところで鉄材を浮かせ、空いたスペースへぶん投げる。
「勿体ねえなあ。火ィ点けたばっかだってのに」
うっかり手からこぼれ落ちた葉巻を揉み消すついでに、奥に見える廃材を近くへ引き寄せると廃材は俺に背を向け逃げようとする女を巻き込んで俺の足元に転がった。先ほど確かめた細い腕を無理やり引っ張って体を起こさせる。
「女にしちゃなかなかタフだな。認めよう。しかし今のはちいっとムカついたぜ」
そうだ。長らく思考能力のない死体ばかり相手してたもんで忘れちまってたよ。生きてる人間ってのは刃向かうときに「知恵」を使うってことを。
「嫌……いやっ!!!」
「舐めた真似しやがってクソ女!!」
この期に及んで抵抗をやめないそいつは体を捻じって反対の腕を大きく振った。すると次はざあ、と夕立のような音と同時に目の前が真っ白に光ったのだ。どういうことだ?!一呼吸遅れて認識される顔の熱と周囲に漂う焦げ臭さが、今の光は「火」だったと俺に告げる。
「クソっ!今度は何しやがった!」
「なっ……わ、私……」
また下らない悪知恵を働かせたのかと思いきや、当の本人は俺以上に動揺してくにゃりと力なくその場にへたり込んだ。こいつが仕掛けたんじゃないのか?その疑問は先ほどの火で焦げた服の隙間から覗く手術痕が答えだった。間違いない、この女。
「ハッ、墓に埋められて生きてるたあ変だと思ったが、それがアンタの『贈り物』ってわけか」
「贈り物……」
「そうだ。体ン中にカドゥをブッこまれたんだろ?」
「し……知らない。カドゥなんて……」
「ハッハッハ!名前なんざ知らねえか!それもそうだよなあ!」
これは面白いことになった。詳しい経緯は知らんが、つまりカドゥ実験に成功――しかも適合率が極めて高い被検体を拾っちまったってことだ。
先ほど見せた、おそらく俺の発電器官に似た理屈での発火現象。それから土壇場でいっちょ前に策を講じる小賢しさ。それは言い換えれば鋼鉄をさらに強くするための「火」、そして死体には無い「知恵」とも言える。この女は利用価値がある、俺はそう直感した。工場に蓄える「鋼の軍団」の欠落した部分に、こいつの能力がぴたりと当てはまる気がしてならなかったのだ。
「気持ちは分かるぜお嬢さん。怖かっただろ、痛かっただろ。『何も悪いことなんてしてないのになんでアタシが突然こんなメに遭わなきゃいけないの?』って思うよなぁ」
自由を勝ち取るため必要な『部品』なら是が非でも手に入れる。俺は女の前でしゃがみ、目線を合わせた。
「俺もここに連れてこられた時そう思ったよ。いや、今もな。『こんなことになったのは誰のせいだ』って」
返事こそなかったが、目の前の怪訝そうな瞳がはっと大きく見開かれた。
「なんの罪もないお嬢さんから一切合切を奪ったのは誰だ?ミランダだ。そうだろ?」
もしカドゥ実験がデカ女の仕業ならこいつは城で飼われているはず、怪物野郎がやったならこんなに元の形が残ってないだろう。サイコ女が人形以外にカドゥを埋め込むなんてのは考えにくい。なら消去法でミランダの仕業だろう。
「い、いいか?俺は敵じゃない。アンタと同じだ。ミランダに何もかも奪われて、その上足枷までつけられてる。だから俺は解放されてぇんだ。そのためにはあの女をぶっ倒さなきゃならねえ!」
依然として口を閉ざしたままの女に俺は畳み掛ける。
「協力しねえか?アンタの「火」と「知恵」があれば俺の「鋼」は更に鍛えあげられる。強くなる。そうすりゃ全て叶うんだ。お前はどうしたい?全て忘れて平和に暮らすか?親の敵を討つか?なんにせよミランダを消さねえと奪われたモンは」
「取り戻せない」
「そうだ」
少し冷静になったらしい女は大きく深呼吸をして地べたに座り込んだまま項垂れた。
「正直、今は何も分かりません。なぜこんなことになったのか。なぜ私たち家族だったのか。その、カドゥとは一体何なのか。貴方の言葉を信じていいのかさえも」
赤い舌が吐き出した言葉に頷く。無理もない。それに最初の質問なんて俺自身何十年と抱き続けている未だ答えの出ない問いでもある。
「――ただ一つ確実なのは」
声色がほんの少し変わったのを俺は聞き逃さなかった。多少は頭の切れる女だ。カドゥの恩恵も受けていることが分かった今、こちらに引き入れるのが一番の目的だが刃向かうようなら処分も致し方ない。念の為自身の得物を手繰り寄せ、出方を窺う。
「なんだ?」
「私から……家族を奪ったのが、ミランダだという事実です」
次に顔を上げたそいつの瞳は揺れながらも薄氷の肯定の上に立っていた。
「一度詳しく、お話聞かせていただけますか?ハイゼンベルク卿」
「上出来だ」
他のスクラップよりは幾分使えそうな部品だと、この時まだ名前も知らないに対してその程度の感情しか俺は持ち合わせていなかった。