「ずっと行き先内緒にされるのでどこに連れていかれるかと思ったら」
車を降りたは笑いながら木村の方を振り向いた。砂浜には足跡。その後を追って一回り大きな靴跡が横に連なり増えてゆく。
「オレだって年に一度くらい砂浜走らなくていい海を楽しみたいもんさ」
「今年は海合宿で来たきりですか?夏らしいコトできなかったって言ってましたもんね」
本音を言うならば目的地を海に選んだのは今の理由が半分、残り半分……いや、主な理由としては暗い声色から漏れた「お願い」を親身に聞くためだったが、自分の早合点を今更伝えたところで仕方がない。
「歩く?」
「はいっ!」
木村が危惧していた憂いなど砂の粒ほども見当たらない満面の笑みを合図にして二つの長い影がゆっくりと動き出した。
時期外れの海辺は人通りもなくただ潮騒だけが忙しない。汐風にさらわれた髪を手で押さえながら少しずつ黄色の帯が太くなる地平線と並行して砂の上を踏みしめる。ぽつりぽつりと交わすのはたわいもない世間話。でも二人にとってはそれで十分だった。
「夏らしいコト、なら花火も買ってこれば良かったですね」
「今の時期まだ売ってんのかね」
「あ、確かに。ちょっと前にコンビニの横で売ってるの見たんですけど……今はどうでしょう」
「マジか」
「ハゲチューのニセモノみたいな絵が描いてある花火だったので目に付いちゃって。今度宮田さんに聞いてみようかなぁ。まだ花火ありますか?って」
不意に出てきた名前をいやに大きな音で耳が拾う。無言の笑顔と共に木村の中で溢れた切なさがわずかに零れた。
「なあちゃん」
彼女に相応しい男はどんな人だろう。
と同じように木村の中で幾度も堂々巡りをしている問いがある。
答えは自分でありたいと思っている。しかしぼんやりと現れる抽象的な「完璧な男」の姿はどこか木村の深層心理にこびりついて離れなかった。そして厄介なコトに、それは時折身近な人物の姿を借りて木村の前に現れるのだった。
「散々誕生日は何も要らねえって言ったケド、やっぱオレほしいもんある」
「えー!何ですか?」
来た道を辿ってを車から降ろせば、その瞬間から彼女は彼女の生活に帰っていく。自分が関与しないまま次にと会った時、その幻影が現実にの横で立っていたならば。
木村にとってそんな未来がいつだって恐ろしかった。
「今年みたいに、来年もオレの誕生日祝ってくれるって約束」
は目をぱちくりさせた後、困惑した表情で視線を砂に落とした。
「そんな大事な日の予定。もう決めちゃっていいんですか?」
足元で埋もれている丸いガラスをは借り物のカーディガンが汚れないようにしゃがんで拾い上げる。ザラついた表面から西日が透けてくすんだ青を鈍く光らせていた。
遠くから寄せては返す波。それぞれに取り憑く黒いものも同じように寄せては返す。
「来年はほかに会いたい人ができてるかもしれませんよ」
「できないよ。ちゃんだから言ってんだ。誰だっていいワケじゃない」
「本当に私でいいですか?」
「ちゃんにこんなコト頼むの、オレじゃ不相応かもしれねえけど」
「それはこっちのセリフですよ」
一つ息をのんで、一つ息を吐いて。は呼吸を整えると小さく首を振った。
「そのプレゼントなら先にお渡しできます」
青いシーグラスを握りこんだ手と反対の腕を木村の目の前へ差し出したはだぼついた薄緑色の先から白い小指を伸ばした。
「来年もお祝いしましょうね、木村さん。来年も一緒に。約束です」
おそらく訪れるのは今年最後だろう、秋の海辺で二人を照らす光はいつの間にか夕焼け色に染まっていた。
END