※時代背景1990年代後半としてお楽しみください
濃紺と赤黄色のグラデーションに赤い雲が転がる空。太陽が休らう支度をする最中、河川敷には地面を叩きつける靴音と跳ねる呼吸が響いていた。数は一人分。静かに、一定のリズムで長く伸びる影は川沿いをなぞっていく。
「きっむらさーん!」
途中、後ろから名前を呼ばれ、その影――木村は動きを止めて振り向いた。
「なんだよ板垣、お前先帰ったんじゃ……ん?」
耳になじみのある爽やかな声色は確かに彼の後輩、板垣のものだったはずだが、辺りを見回しても声の主と思わしき姿はない。肩にかけたタオルで顔を拭き、いぶかしげに首をひねった木村のこめかみからは拭ったそばから新たな汗の滴が輪郭を伝って滑り落ちていった。季節は8月。耐えがたい暑さは日中を過ぎてなおべったりと体にまとわりついてくる。
「木村さんってば~」
「あぁ?どこだよ!」
探すのを諦めた木村が踵を返せば再び響く先程と同じ声。その間延びした口調に少々イラついた表情で声の出所を探っていると、突如、木村の視界の端で歩いていた白いワンピースの女性がものすごい勢いで走り出した。
「ココですよぉぉぉぉ~!」
「うわぁぁぁあぁっ!!!」
髪を振り乱して一直線に向かうは木村の居る方角。揺らめく空気の向こうに見えた悪夢の如き情景にその場で腰を抜かした木村まで女は追いつくと、乱れた髪の隙間から彼を見下ろした。白いワンピース、長い黒髪、顔は髪に隠れて見えない。そのいで立ちはまさに、かの「呪いのビデオ」で有名なホラー映画の……。
「あはっ、木村さんビックリしました?ボクですよボク!」
呼吸を忘れた木村の喉がひゅっと音を立てたと同時に、鬱蒼とした髪をかき分け、大きな二重の瞳が屈託なく笑った。そう、女の正体は板垣だったのだ。
「ななな、なんだよそのカッコは!?」
「サダコですよサダコ!今流行ってるでしょコレ」
しりもちをついたまま肩を震わせ叫ぶ木村をよそに、素知らぬ顔で暑い暑いとカツラを外して手で扇ぎはじめる板垣。しかしその回答で木村の気が静まるわけもなく、顔に当たるぬるい風よりもじっとりとした視線が疑問を孕んで板垣へと突き刺さった。
「えっと、今日大学の時の友達と肝試しやるんです。だから練習前倒しにして早く上がったんですよ。で、この格好は……ボク脅かす側なんで」
「だからってそのカッコで出歩くヤツがあるか!ったくよぉ!」
「へへっスミマセン」
立ち上がった木村はむくれっ面で板垣を一瞥し、体に付いた埃を払った。
「まあ楽しんでこいよ。じゃあな」
「木村さんもコレ終わったら上がりですよね。後から来ます?すぐそこですよ」
「オレはパス」
「えー」
「今日予定あんだって。もういいだろ」
いつになくそわそわと先を急ぐ木村を見て「今日の予定」とやらから甘い匂いをかぎ取った板垣に心当たりは……あった。ふと一人の顔が頭をよぎり、板垣はぱっと顔を明るくさせた。
「もしかしてこの後
さんとデート、とか?あーっ、だから木村さんもロードワーク出るの早いんだー!」
「うるせぇな!」
声を荒げるが否定はしない。即ち、無言の肯定。バツが悪そうにそっぽを向く木村の横顔が板垣の答案用紙にさっと丸を付けるのだった。
「……そろそろあっちも仕事終わる時間だからよ」
「そういうコトならジャマしちゃ悪いですね」
じゃあボクも行きます、と待ち合わせ場所へ向かうべく先ほど脱いだばかりのカツラをまたかぶり直そうとする板垣だが、どうも納得がいかないらしく何度も小刻みに動かしては眉間に皺を寄せている。前髪の位置がずれたり、地毛が飛び出たり、そのたびにかぶっては脱ぎを繰り返す板垣を見かねて、一度はロードワークに戻ろうとした木村だったが、足を止め四苦八苦する後輩へ手を貸した。
「すみません木村さん。……ちなみに髪ボサボサになってないですか?長い髪の毛のカツラってすぐ絡まっちゃうんですよね」
二人がかりでなんとか及第点にはたどり着いたものの、次は毛先の様子が気になるらしく板垣は手櫛で何度も髪を整えながら木村に問う。
「いいじゃねえか。美髪のサダコなんて怖さ半減だって」
と言いつつも、板垣の忙しない手の動きにつられて絡まった毛が気になり始めた木村の手もいつの間にやらいそいそと毛束を解き出している。
「うーん、確かに。結局さっきみたいにたくさん走って追いかけてたらどの道ぐちゃぐちゃになりますしね!」
「つーかお前「リング」見たコトねーな?サダコは走ら……な」
ふと木村が会話の途中で口を閉ざした。不審に思った板垣が様子を窺うと木村の表情からは血の気が失せ、つい直前まで和やかに笑っていたのが嘘のように恐怖を湛えた瞳を見開いて一点を凝視している。
「どうしたんですか。お化けでも見たみたいに真っ青になって」
「っ、
!!!」
木村に突き飛ばされた板垣がよろけた後には、遠くで口元を押さえ、河川敷の階段を駆け下りる
の姿と、それを全速力で追いかける木村の背中が板垣の視界に映っていたのだった。
自分の姿を改めて客観視した板垣も木村に一足遅れて青ざめる。
「どうしよう……ボクのせいで、木村さんと
さんが破局の危機に?!」
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