騒がしい向こうのテーブルをよそ目にして平和にサラダを食べ終わった頃。木村さんがお手洗いへ席を立ったのと入れ替わるように引き戸がゆっくりと横に滑った。私のそばにある引き戸じゃなくて、つまり青木さんとトミ子さんの後ろのが。開けられた狭い隙間からはぴょこっと茶がかった前髪が見えたものの、一呼吸置いてまた扉の向こうへ引っ込んでしまった。
分かる、分かるよ。そうなるよね。
「板垣くん」
さっきの木村さんと同じように私もこちら側の引き戸を開け、床を見つめたまま動かない横顔に声をかけた。
さん?!うわぁ~よかったぁ~!」
「お疲れ様。今日はみんなと一緒じゃなかったんだ?」
こうやってみんなで夜集まる時、鴨川ジムご一行は大体練習上がりに連れ立って来るコトがほとんどだ。黒目がちの瞳をきらっと輝やかせてこちらへ近寄ってきた板垣くんに尋ねると、背中をくるんと向けて遅れて来た理由――上着に書かれた「釣り船幕之内」の文字を私に見せてきた。
「へへ、バイトです。ちょうど船が帰ってくる時間だったんで荷下ろし済ませてきました!」
足早に中へ入ってきた板垣くんは「お腹すいた~」と、さっきまで木村さんが座っていた座布団に飛び乗り大きく息を吐き出した。つぶやいた言葉通り上着を脱ぐのもそこそこに視線は新しく運ばれてきただし巻き玉子にロックオンされているけれど、目の前に置かれた箸がすでに使用済みだと気付き伸ばした手を引っ込めた。それは引き戸の向こうに影が差したのと同じタイミングだった。
「どこ座ってんだ板垣」
「木村さんお疲れ様でーす!すみません、さんのお隣譲ってもらっちゃって」
「譲ったつもりねえよ。どけどけ!」
目を細めて睨みをきかす木村さんに対して板垣くんは悪びれた様子も無くニコニコと笑っている。しかしすぐに座布団から引っぺがされた板垣くんはハイハイの要領で私の隣から対面へ移動し、今度こそだし巻き玉子にありつくべく割り箸の袋を引き抜いた。
「バーカ。お前はあっちだろ」
「えぇっ、なんでですか!?ヤですよ!」
先程は素直に従った板垣くんも今度はそうはいかない。ちゃっかり玉子を一切れ口に放り込んでから次は顎で隣のテーブルを指した木村さんに抗議する。
「ボク、お昼も食いっぱぐれてお腹ペコペコなんです。勘弁してください!」
「高校生の妹が来てんだろ?責任持って面倒見るのが兄貴の務めじゃねえのかよ」
板垣くんが必死に懇願するも木村さんは一刀両断。
「大体菜々子ちゃんはお前のハナシ聞いて来たそうじゃねえか」
「そう言われますと……」
コーラのグラスを口に運ぶ木村さんの斜め前で板垣くんが一瞬私の顔をちらりと見て、それから低い唸り声を上げた。
「~~、分かりましたよ「そういうコト」ですね!お邪魔虫は退散しまぁす!!」
取り皿とお箸を両手に持ち立ち上がった板垣くんは大皿の玉子をひょいひょいと全部口に頬張ってから隣のテーブルへ移動してしまった。
2+1-1=2。結局また二人になってしまったテーブルで私の心臓は少しずつ速度を速めていた。

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