※先に読んだ方が分かりやすいか.も ≫時には春でも嗜んで

「ナポリピザとラザニアの美味しい店がある」と久美に誘われ店のドアを開けたと同時に降ってきた「お誕生日おめでとう」の大合唱にが目をぱちくりさせたのはつい数時間前。トミ子と鴨川軍団を交えたサプライズ誕生日会はすっかり宴もたけなわで、大小様々な荷物を提げたがぺこりと頭を下げたのを皮切りにお開きムードが漂ったのを見逃さなかった木村は、本日の主役へ近づき送迎役を買って出た。
皆が連れ立って向かう駅方面に首を振り、反対方向へ誘う木村の後ろを歩いて少し。建物の隙間を縫うように作られたパーキングでプレゼントの袋を後部座席に積んだは、自身の荷物と手のひらサイズの紙袋一つだけを手にして助手席へと乗り込んだ。
「あの、木村さん」
ゆったりと速度を上げる車は桜の気配を無くした四月の街を静かに滑ってゆく。カーステレオからくぐもって流れる曲の切れ目での声が狭い車内に転がった。
「今日はありがとうございました。いただいたプレゼント、すっごく可愛いかったです」
は膝に乗せた小さな紙袋からすでにリボンの解かれた箱を取り出し蓋を開けた。中に収められているのは落ち着いたイエローがしっとり光るチューリップ柄のイヤリング。木村が贈ったプレゼントだ。
「気に入ったなら何よりだよ」
「そりゃあもう!色合いも綺麗でデザインも大人っぽくて。それに」
の指先がイヤリングの輪郭をするりとなぞる。
「チューリップ好きなんですよね、私。特に黄色いのが」
「……へぇ」
「丸っこくてカワイイし明るい色だから見てると元気が出ますし。まあ、花言葉は『望みのない恋』とか『報われぬ恋』とか散々なんですけど、それは気にしないとして……とにかく好きなお花がモチーフだったので余計に嬉しかったです」
満足そうに唇で弧を描くを一瞬見やると、相槌を打ちつつ黙って話に耳を傾けていた木村がおもむろに口を挟んだ。
「偶然好きな柄だったってワケね」
「ええ」
「偶然……じゃねぇんだよなあ、それが」
「へ?!」
隣から飛び出た声が予想以上に調子っぱずれで、思わず木村はくくっと喉を鳴らす。タイミングよく変わった目の前の信号に合わせてブレーキを踏めば、こぼれそうな瞳で手元のイヤリングと自分の顔を交互に見比べるが木村の目に映った。
「ど、どういう意味ですか?!」
「根拠があるってコト。ずーっと前にちゃんがうちで初めて花買ってくれた時の話なんだけど」
の顔が記憶をさらえるように渋い表情へと変わってゆく。
「そんときチューリップが好きだって黄色いの選んでた」
「あっ!CD返しに行った時ですね」
「そ。だからソレ見つけた時、ちゃん好きそうだなーって思ってな。どう?オレの読み。合ってた?」
「木村さん……ドンピシャです」
の拍手を受けてしたり顔の木村は点灯する青い光と共に再びアクセルを踏んだ。BGMはミドルテンポのポップなナンバーからチルアウトミュージックに代わり、見慣れた角でハンドルを切ると四車線の大通りから狭い住宅街の道へ吸い込まれる。ゴールはすぐそこだ。
「すごいなぁ、木村さんって。お家が客商売だからかな、よく覚えてますね」
「覚えてるよ。特にちゃんのコトなら何だって」
だって好きなんだから。と、木村はその理由までは口に出さなかったが、は気恥ずかしそうにサイドミラーへ視線を逃がした。
今まで気にも留めていなかったものが、突然スポットライトを当てたように視界から浮き上がる。との時間を重ねるたびにひとつずつ目につくものが増えていって、気が付けばまばゆい程に目の前がどれもこれも輝いていることに気付くのだ。例えばあの時お礼に、とくれた青いラベルのコーラ。今流れている以前貸したCD。それにたくさんの花の中から彼女が選んだ黄色いチューリップだとか。それが『BAD』のアルバムに『望みのない恋』とは皮肉もいいところだが、それらはもう木村にとって「ただのモノ」ではなくなっていた。
「そうやっておべんちゃら言うんですからもー」
「あ、信じてねぇな?」
「信じてないってワケじゃ……まあ、チューリップのコトを抜きにしてもこういう雰囲気のアクセサリーすごく好きなので、好みはバレてるなって感じしますけどね」
いよいよマンションの影が近づいて、は手に持っていた箱を袋に戻し、それとなく降りる準備を始める。
「女のコが欲しいモンなんてオレは全然分かんねぇけどよ」
マンションの入り口付近に車をつけ、サイドブレーキを上げた木村はゆっくりと左に顔を向けた。
「それでも『ちゃんの好きなもの』ならちったあ知ってるつもりだぜ」
「……木村さん」
「つっても自信があったわけじゃねぇし、正直今聞いてホッとしたよ」
顔を見合わせて相好を崩した二人の頬が何色だったか。というのは、夜の帳が隠してしまって知る由も無い。

「実は一つ問題があるんですけど」
自身の荷物と手のひらサイズの紙袋一つだけを手にしたがエレベーターを降りると、煌びやかな包みの荷物をあれこれ手にした木村に話しかけた。
「なに」
「せっかくステキなイヤリングをいただいたのに、付けてお出かけする用事がまだなんにもないんですよ」
「そりゃあ……大問題だな」
同じようなドアが並ぶうちの一つで足を止め、鍵を開けたに木村は持っている荷物の半分を手渡した。
「でしょう?で、ですね。今、都内の水族館で古代魚展やってるらしくて、木村さんの好きなアロワナも何種類か見れるそうで」
「なるほどな。オレが思うに……次の休みを木村サンに言やあ解決するんじゃねぇかな」
はそれらを玄関に置き、再びドアの外へ姿を見せる。
「次の火曜日です」
「じゃあ火曜、予約」
「やった」
木村は残り半分の荷物もの手に握らせた。またも玄関の奥に引っ込んでいったの声と、荷物を置く物音だけがドアの前に立つ木村の耳に入ってくる。
「私だって覚えてますよ。木村さんのコト」
「ん?」
「木村さんが好きだって言ったものとか、一緒に行ったところとか、いただいたものとか。私にとって全部特別ですから」
照れくさそうにドアから顔を出したの髪が頭上のオレンジめいた照明の光を反射してきらきら光る。木村はその透き通った輝きに見覚えがあった。いつかの日に似た、いつかの春のいつかの昼下がり。
「おかげさまで最高の誕生日でした。次は……来週に」
「おう、また連絡する。おやすみ」
「おやすみなさい」
ドアを支える手を緩めた木村は車に戻るため階段を下りてゆく。夜にしては温い風が狭い踊り場を通り抜け、木村は「あったかいな」と笑みを浮かべて呟いた。
特別はいつもあなたのためにあるの
2021/04/15