ある日の木曜日。すっかり定位置となった先輩の隣の席で今日出された宿題をこなしていた。下校時間ギリギリまでいる先輩と違い、家の手伝いやジムのあるボクは宿題が終わったら先に図書室を出てしまう。時間にすると30分いるかいないかで、その間特に話もしなかったのだが、その日は難しい顔でアルファベットを書き連ねていた先輩からルーズリーフが一枚無言で差し出された。
『カバンの口開けて』
端に書かれた丸っこい字を見て、ワケが分からず隣にアイコンタクトを送る。先輩はボクのカバンを指さして声を出さずに「開けて」と唇を動かした。言われるがままファスナーを開けると先輩はキョロキョロ辺りを見回して、自分のカバンから弁当箱くらいの袋を取り出しボクのカバンへさっと押し込めた。その中身にも見当がつかず改めて目で疑問を投げかけると、もう一度先輩の唇が形を変えた。今度は静かな室内に溶け込むくらいの小さな声と共に。
「お誕生日おめでとう」
「え……」
「明日だけど、学校休みだから先言っとく」
驚いて声の出ないボクをよそにルーズリーフへ先輩はまたなにか書き込んでいる。
『さっきのは私セレクトのお菓子セット!先生に見つからないように帰ってね』
「覚えてて、くれたんですね」
自分の誕生日を先輩に話した記憶は確かにあった。あれは鴨川ジムに入門して間もない頃、宮田くんと再戦を控えていた時期に性懲りも無く先輩にそのコトを聞いてもらっていた時だ。
「試合が決まった……って、幕之内くん、もうボクシングのプロになったの?」
「アハハ、違いますよォ。試合っていってもジムの中だけでやる練習みたいなヤツです。それにプロの試合は17歳からしか出れないですし」
「へーっ。そしたらプロのは今年誕生日来てからだね。あ、お誕生日いつ?」
そんな感じの、ともすればその日に忘れてしまうような些細な世間話。自分だって受験の迫った大変な時期なのにボクみたいな一後輩のそんな話をちゃんと覚えていてくれて、祝ってくれるんだ。そう思うと鼻の奥がつんとこそばゆくなって、たまらず先輩から顔を背けてしまった。
「試合出れるようになるってすごい嬉しそうだったもん」
「まあ、試合も何も、まずはプロテストに合格するところからなんですけど」
先輩の優しい声が懐かしくて、話したかったコトが次々頭の中にあふれてくる。宮田くんとのスパーのコト、先月観に行った鷹村さんの試合のコト。それから
「プロテスト。実は今月受ける予定で……」
逸らした視線の先には本の貸出期間を示すサイコロ型の万年カレンダーが見える。カレンダーに書かれた今日の日付。それは11月――
「幕之内くん」
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