「倉庫のケーブル全部持ってきました!」
「悪い、そこに置いたらあっちのメンテ手伝ってやってくれ。あー、まず『首輪付き』のから頼むわ」
「『首輪付き』?」
「なんだお前知らねえのか。ほら、例の大尉様オキニイリの……おやエリク中尉。どうしました?ん、く……少尉ですか?」
「少尉ならさっき出口ですれ違いましたよ俺」


「分かった。ありがとう」
二人のメカニックマンに軽く会釈して格納庫を後にする。
無機質な廊下を延々と進み『医務室』のプレートがかかった部屋に入ると、哨戒から帰ってきたパイロット達が船医から検査を受けていた。
奥の方に見えた周りの男性より一回り小さな背中へ近付き声をかける。
「少尉、少尉」
ブルネットのウェーブヘアーが翻り、髪の隙間から覗いた薄いブラウンの瞳が私を捉えた。

――
彼女の経歴は見れば見るほど異様だった。
ある日突然ジオン共和国軍に現れたモナハン大臣お抱えのパイロット。入隊前の情報は一切不明。苛烈な戦闘区域を何度も潜り抜け、五体満足で生還していながら戦果らしい戦果はほとんど残っていない。
そして何より目を引くのは、報告書に併記された上官の名前が全て同じ人物だということだ。

ご苦労様。と続けて口にすれば、これらのきな臭さを抱える張本人とは思えぬ柔らかな笑顔が返ってきた。
「エリク中尉。どうなさいました?」
「少尉はこれが最終の哨戒だったな。この後予定は?」
「日報を書き終えたら明日までフリーですが……」
採血が済んだ腕を軍服に通した少尉は少し困惑したような表情を浮かべたが、私の返事を聞き、より一層訝しげに首を傾けた。
「そう、よかった。ところで……少尉は紅茶、好き?」
「はい?」
咳払いを一つしてから両手を後ろに回し、肩の力を抜いてみせる。仕事の話では無い旨を強調するため、あえて砕けた口調で少尉に尋ねた。
「これはプライベートでのお誘い、なんだけど。この後私の部屋でお茶しない?フェアレディ隊のみんなと。今回だけじゃないと思うけど女性のパイロットは少ないから交流が持てたらいいなと思ってさ」
「なるほど」
顔をほころばせた少尉の反応は好感触で内心ホッとする。
「ご配慮ありがとうございます。紅茶はあまり詳しくありませんが、香りの良い飲み物は大好きです」
「じゃあ――」
「その茶会、ぜひ私もお招きいただけないかね」
突然、わざとらしいノックの音とともに聞き慣れた声が割り込んできた。
どこか人を見下すような、神経を逆撫でするノイズ。少尉の経歴を事細かに調べる必要となった所以のあの男の声だ。
「ゾルタン……大尉」
医務室の出入口に目をやると、左肩を壁に預けたゾルタンが、意味ありげな笑みを湛えてこちらを見下ろしていた。
室内の空気が一瞬で凍りつく。彼の存在に気付いた他の船医やクルーは控えめな談笑などをピタリと止め、腫れ物に触るようにゾルタンの動向を窺い始めた。
そしてプラム色の軍服は、その重苦しい雰囲気を楽しむかのようにゆったりとした歩調で私達のところまで近づいてきた。
「『白い三ツ星』のお嬢様方と親睦を深められるまたとない機会だ」
「大尉。申し訳ありませんが今回は『女性パイロット同士の交流』を目的としておりまして」
「フフ、そうかい」
アシンメトリーの前髪から垣間見える緋と灰の瞳は、もう私のことなど捉えていない。
「それにしてもお前が紅茶を嗜むとは珍しいこともあるもんだ。普段飲むのは珈琲ばかりじゃないか。なぁ?
私は咄嗟に少尉の前に体を捻じ込み、ゾルタンの行く手を遮った。
「大尉。前から気になっていましたが、貴方は少尉に少々干渉しすぎではないですか?」

少尉の異様さは経歴だけではない。
データ上の取るに足らない戦績に対し、纏う軍服はゾルタンと同じ派手なカスタマイズが施されたもの。そして彼女の顔に消えては増える不自然なアザは明らかに戦闘で負った傷ではない。
まるで彼の所有物とでも言わんばかりの只ならぬ佇まい。誰が言い出したか、少尉をゾルタンに飼われる『首輪付き』などと蔑む者も現れた。
「少尉の軍服然り、プライベートへの口出し然り、そうやって部下を私物化する真似は慎んでください」
「別に『首輪』を嵌めて連れ回してる訳でもなかろう」
一瞬の隙を突かれ、私は横に押し退けられる。
ゾルタンは白々しく少尉の腰に手を回し、体を密着させた。
乱暴に抱き寄せられた少尉の軍服がくしゃりと歪む。まだ留めていなかった黒い詰襟がはだけ、露わになった彼女の首筋には――いくつもの鮮やかな鬱血の痕が残っていた。
それが目に入った瞬間、押し殺していた感情が堰を切ったように溢れ、止めることが出来なかった。
「貴方はどこまで――!!」
「ッセーなババァ!そっちこそ『プライベート』に口出してんじゃねーかよ!!」
怒声に周囲のクルーが身構える。ゾルタンが一瞥すると、検査中のパイロットたちはそそくさと部屋を後にした。
「全ては同意の上だよ、エリク中尉。とは公私共にパートナー……だからそういうコトだってするさ」
何食わぬ顔で襟元を正した少尉も静かに頷いた。
「大尉の仰る通りです」
「よく考えて少尉、そんな男に付き従う理由なんてない!……フェアレディ隊なら貴女をいつでも歓迎するわ」

本音を言えば、最初からこの話をしたかった。
ゾルタン・アッカネン。メリ姉とシー姉の片眼を奪い、ビアギッテの心を脅かす男。それでも飽き足らず今度は少尉まで――傷ついた姉妹たちと彼女が重なって、私には他人事とは思えなかった。

「おいおい俺の話を聞いてたのかよ。パートナーの前で引き抜きとはとっぽいことしやがる。そんなにこいつが欲しけりゃ、そうだな。そっちのキューティーブロンドと花いちもんめでもするか?」
「彼女達はモノではない!」
奥歯を噛みしめ今一度少尉へ顔を向ける。
なんでもいい。少しでも何かサインを出してくれれば、その手を引いて必ず助けてみせる。
願うように少尉の言葉を待つ私の心情を知ってか知らずか、彼女は時間をかけて何度か瞬きをしてから口を開いたのだった。
「ああ、失礼いたしました。これまで私を大尉から引き離そうとするのは決まって"男性の方"だったので、初めて女性の上官からもお目をかけていただき少々驚いております」
淡々とした声。
その隣で、ゾルタンの赤い右眼がぴくりと歪んだ。
「クヌッセン軍曹とトレードであれば構わないと大尉も仰っていますので、そちらの条件で問題なければ前向きに検討させていただきます」
直後、ゾルタンの拳が容赦なく少尉の顔面に叩き込まれた。
一欠片の手加減もない。衝撃で大きく跳ね上がった身体が壁に激突したが、それを追いかけたゾルタンはなおも胸倉を掴み、引き寄せる。
「テメー!今更俺以外の下に付こうなんて色気づいてんじゃねーだろうな?!アァ?!」
彼の口から紡がれたのはあまりにも自分勝手で理不尽な言い分。
しかし少尉は怒るでも怯えるでもなく――むしろ先ほどより穏やかな表情でゾルタンの耳元に唇を寄せた。
「社交辞令の常套句です、大尉」
少尉がそう呟けば、魔法が解けたようにゾルタンの手は少尉から離れていった。
「チッ……15分後にデッキでブリーフィングだ。遅れるなよ」
「承知しました」
ゾルタンは吐き捨てるように踵を返し、部屋を出て行った。

やはり少尉は何か事情があってあの男に囚われているに違いない。
だって、どうかしている。こんなこと。
「……あんなに焦って、可哀想なヒト」
「え?」
しかし、その考えは間違いなのかもしれない。
「一体何のブリーフィングをなさるおつもりかしら。クヌッセン軍曹と引き換えだとしても、私を失うのは怖いんですね、大尉。ふふ……安心しました」
恍惚とした薄ら笑いを浮かべた少尉を見て、私は何か得体のしれない恐怖を彼女に覚えたのだった。

「申し訳ありません。残念ですが、先ほどのお茶会はまたの機会に」
うやうやしく頭を下げた少尉はそう言い残し、医務室を後にした。
汚されたいの
2026/02/12