「あのさぁ。えーっと……え、エーゴ! 英語教えてくんねぇ?」
 期末試験5日前。部活のカバンが荷物から消えた越野君のこんな一言で始まった勉強会は夕焼けにうっすら紺が混じる時間まで続いたのだった。
「あー腹減った」
「私もぉ~」
 授業が終わってから最終下校のチャイムが鳴る間みっちり英語の教科書とにらめっこしていた私達は大きく伸びをして外の空気を吸い込んだ。
「ねえ越野君、今何が一番食べたい?」
 越野君の自転車を取りに自転車置き場まで歩く間の話題は完全にお腹の減りに支配された内容だ。
 は? 私はうーん、エビバーガー! オレはヨシギュー。あ、私牛丼って何気にお店で食べたことないなぁ。
マジ?!」
 軽い世間話のやりとりだったハズが予想外に食いつかれ、越野君の勢いに気圧された私はとっさにカバンを胸に抱え込んだ。
「この世にヨシギュー食ったことないやつなんているのかよ!」
「食べたことはあるからね? 多分……。お店に入ったことないだけだし」
「変わんねーって!」
 だって友達と行くならファーストフードかファミレスだし、家族で外食するにしてもうちの家では牛丼屋という選択肢は出てきたためしがないんだからしょうがない。それなのにまるで珍獣でも見るかのようにマジかーって何度も言われると越野君、私、ちょっぴりいたたまれない気持ちになるのですが。越野君だって絶対タピオカ飲んだことないじゃん。知らないけど。
「くっ……今度食べに行きますぅ。じゃあまた明日」
「あ! 待てよ!」
 越野君と私の家は反対方面。裏門をくぐって駅の方へ歩き出そうとした私を越野君が呼び止めた。
「オレどうせ何か食って帰るつもりだし。ついでに連れてってやってもいいけど?」
「行く!」
 
 ナミトトクモリ。少しガタつくカウンターの丸椅子に座って越野君がこう伝えると、店員さんが伝票をぴっと切った。
「おおー」
「注文しただけだろバカ」
 食ったことないやつなんているのかよ、と豪語するだけあってよどみのない所作に目を見張ったのも束の間、ビックリする早さで湯気の立つどんぶりが目の前にやってきた。店員さんが置いた牛丼は二つ。私のと越野君の。
「え? 越野君のでっっっか!」
 並んだ牛丼は乗ってる具こそ同じだけど器も盛り方も大きさが全然違う。思わず心の声が漏れて出た途端店員さん越しの向かいに座るおじさんがぷっと笑ったのが見えてしまった。じわじわ熱の溜まった頬を越野君はむんずと引っ張った。
「ウルセーな。並じゃ足りねーのオレは」
 そう言って次に分厚い指は割り箸を握り、どんぶりの中身を深々と掘り起こしてゆく。箸先に乗った牛肉とお米は握りこぶしくらいあるんじゃないかって大きさだけどなんのその。がぶりと一口で簡単に吸い込まれてしまった。
「すごぉ……」
「冷めんぞ」
「分かってるよ」
 切り崩した一角をまたも口に放り込む越野君は私が今どんな気持ちでいるかなんてちっとも気付いてないんだろう。今日はただクラスメイトをきまぐれに誘っただけって分かってる。それでもいつか伝えられるといいな。
 教室の席から見える広い背中。筋張った腕、固そうな毛質の前髪、それから大きな一口。自分と違うところを見つけるたびにいつだってドキドキと胸が高鳴るんだって。こうして隣にいるだけで幸せな気持ちになるんだって。

***

 そもそも中間テストの時一緒に英単語の勉強をしたクセに、期末でもまた「英語教えてくれ」はさすがに芸が無かったと思う。でも部活で普段登下校が被らないと放課後一緒にいる方法なんてそれくらいしか思いつかなかった。
 結局軽口叩いてる合間にとんとん拍子で話が進んで、一緒に帰るどころかメシまで食うチャンスが舞い降りたのはマジメにテスト勉強した見返りに違いない。そういうことにしておこう。
 それにしてもテスト勉強にしろメシにしろ二つ返事でついてくるコイツなんなんだよ。もし声をかけたのがオレじゃなくて……例えば植草とか仙道とか福田とか別の男子だったとしても同じようにここに座ってんのか? だったら嫌だ。でも幸せそうに牛丼を頬張るを見たらなんか何も言えなくなってしまった。まあいいや。とりあえず今横に居るのはオレなワケだし。
「ご、ごめん。私食べるの遅いね」
 ばちっと目が合ったは空になったオレのどんぶりと見比べてカツカツ器を叩く箸の音を早めた。
「あー。いいって」
 オレならあっという間に平らげるサイズのどんぶりをちまちまとやっつけるの姿は見ていて飽きない。イヤ、本人は全力で食ってるんだろうけどなんせ一口が小さくてなかなか減らないのだ。
 改めてを見ると箸を持つ手も、飲み込むたび動く首も、オレより断然華奢で細い。オレはいつの間にか自分とは全く違うこの生き物を可愛いと思うようになってしまった。誰でもじゃない。可愛いと思うのはだからだと最近気付いた。
 これで足りるんだよなあ。小食だな。小ぶりの器といそいそ食ってるをぼんやり眺めていると、忙しなく動く手がふと止まった。ガラス張りの壁を突き抜けての視線は車道の方へ伸びている。
「どうした?」
「越野君見て。アイス、ダブルでトリプルだって」
「はぁー?! お前食う気かよ!」
「アイスは別腹~!」
 訂正。は結構食う。けど、まあそれでも。
「いっぱい食べる君が好き」
2023/05/20・2023/06/10加筆修正