※痛そう
まるでテレビを見ているようだった。燃え盛る炎は夕焼けよりも紅く、業火に包まれた街はどこもかしこも暗く煙っている。普段の生活とはあまりにも違いすぎる眼前の光景は夢か現か、
の意識は混濁するが、否が応にも鼻をつくむせかえるようなヒトの焦げる臭いが全ての靄を払い、
に現実を突きつけた。そしてなんという皮肉だろうか、その中で悠々と揺らめく旗はほかでもない、
自身が身を置くガンマ団の憲章であった。空に向かって突き上げられた数々の真紅の旗は崩れ落ちる街を侵食しながら炎の渦中で一際色彩を放っている。
「こんなのって」
地響きを上げて団員が行進するさまを
は呆然と眺めていた。『生き地獄』がこの世にあるとすれば、それはまさに今目の前で起こっている光景だろう。血の、旗の、炎の、かしこにはびこる生々しい『赤』が鮮烈すぎて目の奥がくらくらする。
は現実から背けるように目を閉じようとするが、突如視界に入った一人の男の姿に再度大きく目を見開いた。固そうな質感を思わせる短い黒髪。丸い瞳のせいか実齢よりも幼く見える顔立ち。空色の忍び装束は遠に黄昏色に暮れ、彼が動く度に時折テラテラと鈍く光を反射している。見間違えるはずがない。そう、彼はまさしく。
「トットリ、くん」
それに気づいたトットリもまた、
をひしと見つめ返したのだった。
今回の任務「敵対勢力の殲滅」は滞りなく終了。いつもなら黙っていても湧いてくる食欲は今、ひとつもない。ひとしきりシャワー室で任務の汚れを落としたあと、他にすることもなくなった
は割り当てられている飛行艇の自室へ戻ると、部屋のドアの前にトットリが立っていた。彼もシャワーを浴びた後なのだろう。先ほど見た忍装束でなくラフな恰好に身を包み、髪は濡れていた。
「お疲れ様」
「
。ちぃと時間ありんさる?」
「ん、部屋はいりなよ」
はトットリを部屋の中へ招き入れた。
「座って。今お茶淹れるから」
そう言ってトットリに背を向けた瞬間。ヒュッ、と微かに風の切れる音が耳元で鳴ったかと思うと
の頬に一筋の赤い線が浮き上がった。
「痛……!」
反射的に切れた頬を手で押さえると、トットリはその
の手をも力任せに振り払った。突然の大きな力に抗えずクラリと
の体が体勢を崩すと、間を置かず鈍い音と共に背中の痛みが
を襲う。大きく咳き込み涙が伝う頬に垂れ落ちた飛沫は洗いざらしの髪の滴ではない。ぽたぽたと赤い点が彼女の身体に飛び、その後にハラリと顔にかかった布もまた、赤色であった。疑問・恐怖・哀切・愁嘆……様々な感情が混ざり合う視線を馬乗りになるトットリへ投げかけると大きな瞳を冷たく、冷たく細めて彼は視線を見下げたのだった。
「なに?どうしたのトットリく」
「黙れ」
の声をかき消すように、トットリは握ったクナイでもう一度
の身体をひっかいた。小さく声を上げ苦痛に顔を歪ませる様子などお構いなしにトットリは次々と
の身体に刃を当て、傷を増やしゆく。
は渾身の力を込めて抗うものの、男の力に抑え込まれた体はびくともしない。彼のなすがままにされるより他はなかった。
「止めて!こんなこと!」
先の戦闘で使っていたものなのだろう、刃の部分には
の血である鮮やかな赤い液体のほかに、空気に触れ赤銅色に変化した血もこびりついていてぎらりと鈍い光を放っている。それをトットリが大きく振り上げたのが見えた
はたまらず声を荒らげてトットリを強く睨んだ。しかし眼前の動きは止まらない。何の迷いもない滑らかな動作で腕が振りおろされたと同時、胸に感じたことのない激痛が走った。今までで一番深くえぐられた
の胸元からはすぐに血が溢れ出し、とめどなく彼女の身体を染め上げてゆく。あまりの痛さに金切り声を上げて
の身体は大きく跳ね上がったが、また、それをトットリは無理やり押さえ込んだ。傷口をなぞるように、トットリは白く華奢な身体の上を自身の無骨な指をゆっくりと這わせていた。
「ぃ、いた……いたい……ッ!」
「幻滅、しんさった?」
「えっ?」
低い声が
の耳に飛び込んできた。
「ガンマ団は人殺し集団だっちゃ。こうして、人を殺す。そいが仕事やけ」
馬乗りの状態から覆いかぶさるようにトットリは
へ顔を近づけた。互いの温かな吐息が直に感じるほどの距離でトットリは更に言葉を続けた。
「こげんもんじゃない、
が想像もつかんような残酷なことを僕だって今までにしとる。お前が僕んことをどげに思いんさっとるかは知らんっちゃけど僕ぁ最低の男だっちゃわいやがな。だから、な。もう僕んこと、嫌いになったっちゃろ?」
このまま僕から離れていくなら、いっそ。続く言葉をかき消して
はできる限りの声で叫んだ。
「ならないよ!」
トットリの体が強ばったのは明らかだった。
「トットリくんは、それで、私が離れれば、私が幸せになると、思ってるの?」
荒い息に滑り込ませるように紡がれた言葉。トットリは今までの無表情をほんの少しだけ崩して
を見た。
「トットリくんが考えてることなんて、わかってるよ。ずっと一緒にいて、見てたんだもん」
「
」
「私だって、トットリくんがどんな仕事をしてるかくらい覚悟の上でガンマ団に来た。それで幻滅するくらいならとっくに離れてる」
は血に濡れた赤い手でクセの強い、固めの黒髪をくしゃりと撫でた。
「好きだよ」
「ごめん……ごめん
!」
首元に添えられた赤いマフラーを解いて
の胸の傷口を強く縛った。痛みで
は血の気を失った顔をしかめた。傷口を抑えながらトットリの口からは濁流のごとく言葉が流れ出た。
「
は僕じゃなくて、もっと普通の男と一緒におる方が幸せだって分かっとるわいや。こげん仕事しとる僕じゃあ人並みの幸せは与えてやれんし、でも僕からはどうしても離れられんかった!だから」
トットリの言葉を噛み締めるように
は首を上下に揺らした。
「でも私、トットリくんが好きだから」
「もうええっちゃ!お前は喋るな!」
「幸せじゃなくてもトットリくんのそばにいたいよ」
トットリがこくり、と頷くのをみて、
はトットリの胸にそっと体重を預けた。
その後、とある一兵卒が任務中飛行艇で起こした事件は表沙汰になることはなく、ひっそりと闇の中へと溶けていったのであった。
胸に傷を持つ女と、赤いスカーフを巻いた男の二人を除いて。
リグレット
2011/07/14 2020/11/08加筆修正