シンタローがふいにこちらを見た。(と思う)
、なにやってんだ?」
「んー、これ」
そう言ってシンタローを背に窓の方を向いていた私はくるっと向き直って少しずれた。
「お、風鈴」
「そう。夏らしくていいでしょ?仕事が忙しいのも分かるけどシンタローの部屋はどーも季節感がないと思ってね。どうかな?」
「ああ、いいんじゃねーか。さんきゅーな」
「どーも」
書類をチェックする手を休めることなく返事をするそっけない彼とは対照的に、カーテンレールに吊り下げられた風鈴くんは私が指でつつくのに合わせてチリン、と涼やかな笑い声をあげてくれる。近くの雑貨屋で売っていた安いものだから豪華な調度品に囲まれた総帥室では少し居心地悪そうだけれど、降りしきる雨音と共に生み出されるハーモニーは耳に心地よい。少しだけ窓を開けてみるとこの時期特有の湿気をたっぷり含んだ生暖かい風や澱んだ雨と土と濡れたコンクリートの匂いが人工的に冷やされた部屋へぬるりと入りこむ。
「おい、
しばらくの合間目を閉じてその感覚を楽しんでいるといつのまにやらシンタローがすぐ隣までやってきていた。
「あ、ごめん。閉めるね」
「いや、このままでいい」
シンタローは私の手を制して今よりももっと大きく窓を開けた。開けた分だけさっきよりたくさんの風が吹く。匂いがする。それは無機質な総帥室に命を持ったものの温かみが運ばれるようだった。そしてその感覚はしっかり鍵をかけたはずだった思い出の窓も解き放ってしまう。
あの時は風鈴の音にまつわる思い出なんてないし雨だってほとんど降らなかった。今嗅いでいる匂いだって全然違う、だけど
「なんか……思い出すな」
シンタローも同じ事を思ったのだろう、小さくそう漏らした。
「パプワくんたち、元気かな」
「そうだな」
シンタローはそう言ったきり黙ってしまった。風鈴の音と雨音だけが総帥室を支配する。しかしその静けさは決して悪いものではなくそのまま私も口を閉じて沈黙に身を任せた。
ちょっとの間をおいてまたシンタローは口を開いた。
「あのよー」
「ん?」
「えっと」
「もー何さ!」
「次あいつらと会う時は「シンちゃーん!ちゅわぁーん!!」
シンタローが何かを言いかけた時、遮るように私たちを呼ぶ声が聞こえると共に重いドアが大きな音を立てて開いた。みるみるうちにシンタローの眉間にしわが寄る。声の主は言うまでもない、彼の父だ。
「親父」
「マジック様、どうかされました?」
そして
「やだなぁちゃんったら!君はもう私の娘なんだから、パパって呼んでおくれ」
先月からは私の義父でもあるのだ。
「は、はい。マジック、お父様」
するとマジック様は私の肩に手を乗せ、整った顔をパッと崩した。
「シンちゃん!!聞いた?聞いた?ちゃんが私の事をお父様って!!!いやぁちゃん、パパね、シンちゃんもコタローちゃんも大好きだけど実を言うと娘も欲しかったんだよ~!こんな可愛い子がシンちゃんのお嫁さんになってくれてホントパパ感げ……」
「息子の嫁に手ぇ出してんじゃねぇ!用件は何だよ!!」
「そうそう、二人に挨拶したいってお客さんがまた来てるよ」
「だったらそれを早く言え!行くぞ
「は、はーい」

パプワ島で起こったこと。全ての命を一人で背負って眠りについたパプワくん。皆、割り切れない感情は募るままで、あの時の悲しみは生々しく心に残っている。シンタローだって、私だってそう。でも、あの島に魂を引かれたまま立ち止まっているわけにはいかないのだ。今までの過去と上手に生きるために、然るべき時に胸を張って笑えるために、前へ進むため……パプワ島から帰って来た私たちは籍を入れたのだった。
「次会う時は、パプワ達にも報告しねぇとな」
「うん、そうだよね」
「あと……」
「家族も増えてっといいよな、そんときは」
そう耳打ちした真夏の男は照れたような笑みを浮かべた。
いつか海へ届くまで
2010/07/22 2020/11/08加筆修正