「ねー、通知表どうだった?」
「ヤバかったー!帰ったら絶対怒られるんだけど!」
「てか世界史毎回範囲広すぎ。あんなのムリじゃない?!」
アスファルトを叩くローファー、重そうなバッグが擦れる音、瑞々しい声色で聞こえてくる単語はどれも懐かしい匂いを残して冬の空気に解けてゆく。
なかなか来ない青木さんとトミ子さんを待つのに暇を持て余していた私と木村さんの視線は、自然と目の前を通り過ぎた制服の女のコ達へ集まっていった。
「……どうして学生ってあんな薄着でいられるんでしょうか」
制服にマフラーと手袋だけを身につけた彼女達をよそに、私は分厚いコートの首元を詰めて身震いした。
「
ちゃんだってちょっと前までああだったろ?」
「ちょっとどころじゃないですよ」
同じく寒そうに肩をすくめた木村さんへ反論しつつも、記憶に積もった埃を払えばかつての自分も似たような格好をしていた気がする。
「たしかに、高校生の頃は私もマフラーと手袋だけで登校してましたけども」
「へー。そうなのか」
「ええ。なんかそれがオシャレみたいな風潮があって」
話しながらふとまぶたの裏に浮かんだのは在りし冬の日の光景。手持ち無沙汰なのも相まって、降ってきた話題の種にこれ幸いと「ちょっと前」の思い出話を続けるコトにした。
「というか、逆に教室にいる時の方が厚着してたかもしれません」
「……なんだそりゃ」
「ひざ掛けを教室で使ってたんです。それを休み時間は肩からかけたりして。こーやって」
マントを羽織るようなジェスチャーで伝えると木村さんからは「あー!」というよりはさっきと同じ「へぇー」といった感じのリアクションが返ってくる。
「みんなお気に入りの一枚を持ってくるんですよ。好きなキャラクターとか色、柄……個性が出るからひざ掛けがそのままそのコのイメージって感じでしたね」
「ナルホドなぁ」
「ひざ掛けも腰に巻くタイプと肩にかけるタイプのコがいたりして。懐かしいなあ。木村さんのクラスの女子もやってませんでした?」
何だか自分ばかりがしゃべっている気がして話を振ってみる。いつもなら相槌だけじゃなく適度に返してくれるのにな。うっすらと感じる違和感の理由は顎に手を当てる彼からすぐに明らかとなった。
「どうだろ。オレ、高校行ってた期間短かったからな」
「あ」
今の好青年ぶりからはまったくもって想像出来ないけれど中学の頃から不良だった木村さんは青木さんと共に高校を中退したそうだ。
学校の話はあまり触れてはいけない話題だったかもしれない。恐る恐る顔色を窺うと、木村さんはにこりとあったかい笑顔を私に向けてくれた。
「そのおかげで今や10回戦ボクサーよ」
「ふふ、さすがです」
だろ?大きく吐き出した息が白く立ちのぼる。それを追うようにして木村さんはちょっとだけ上を向いた。
「ま、いわゆる「フツーの高校生活」ってのも今となってはちょっと羨ましいなって思うケドな」
友達と授業受けたり、テスト勉強したり、体育祭や文化祭や修学旅行。淡々と言葉を並べてゆく横顔から突然動いた瞳と視線がぶつかった。
「そういうコト、マジメに学校行ってりゃ
ちゃんとも出来たのかも」
「木村ー!
ちゃーん!」
「って、結局オレら違う高校なんだけどな」
突如名前を呼ばれて振り向いた先には大きく手を振る青木さんとトミ子さん。木村さんは一言で風呂敷を畳んで徐々に近付く二人の慌ただしい足音を出迎えた。
「悪いな遅くなって」
「ホントだぜ。こんな寒空の下で
ちゃん待たせやがってよ。今日のボーリング代お前払えよな」
青木さんへ距離を詰める木村さんと入れ替わりにトミ子さんが息を弾ませ私の元へやってきた。
「ゴメンなさいね、
ちゃん。帰り際に急患が続いちゃって」
「いえいえ!お仕事お疲れ様ですトミ子さん」
「久美達はもう着いてるみたい。さっそく行きましょ」
「はい!」
歩き出すトミ子さんの隣に並んで、私も一つコツンとブーツを鳴らした。
もしも木村さんが「フツーの高校生活」を選択していたら。
もしも木村さんがボクシングを始めていなければ。
木村さんだけじゃない。私が委員会に入らず幕之内くんと接点がなかったら。違う高校に進学していたら。
何かが一つ違うだけで私は木村さんと出逢えてすらいなかったかもしれない。
そう思えば木村さんとこんなふうに過ごせる時間は
ち 小さな奇跡
が幾重にも積み重なってできた結果なんだろう。
それならば今が一番いい。今でよかった。出会う前の過去もまるごと全部、今で良かったなぁ。
「まちゃるぅ!
ちゃんと交代!」
トミ子さんの声に反応して少し前を歩く青木さんがくるりとこちらを向いた。
「はあ?」
「だって
ちゃんったらずっと木村さんのコト見てるもの~」
「へぇ?!ちちち違いますって!!」
そして願わくばこの奇跡がずっと続きますように。
赤い鼻で手招きされて、私はそう思わずにいられなかった。