「えっ?達也?!」
オフィスカジュアルとパンプスを引っかけ帰り着いた自宅のマンション前。暮れなずむ空の下、今日見るはずのなかった恋人の姿が目に飛び込んできて思わず声を上げれば、ツツジの植え込みあたりに寄っかかっていた彼は体を離して片手で応えた。
「よっ。お疲れさん」
「お疲れ……は達也の方じゃない!」
"見るはずのなかった"というのは彼が所属する鴨川ジム恒例、夏の合宿に今日まで参加しているのを知っていたから。先週ジムメイトと共に出発した達也は一週間の間、普段にも増してハードな練習に明け暮れていたハズ。なので合宿が終われば疲れてさっさと家に帰るものとばかり思っていた。
「どうしたの?今日まで合宿だったでしょ?」
「だからにコレ持ってきたんだよ」
おみやげ。そう言って達也は紙袋が握られた手を私の前へと差し出した。
「思ったより賞味期限短かったから早めに渡しとかなきゃと思ってよ」
「わ、ありがとー。わざわざゴメンね」
「いや。オレが勝手に来ただけだし……それにしても」
紙袋が離れても大きな手のひらは残ったまま、さらにこちらへ伸びてくる。
「色々買ったなぁ」
「あっ!」
そのまま紙袋と交換の要領で私の腕にかけていたパンパンのレジ袋を掠め取られてしまった。中身は帰りに寄ったスーパーでたんまり買い込んだ食べ物や飲み物、あとは……お菓子が少々。
「大丈夫!自分で持つよ!」
ただでさえ合宿帰りの大荷物をしょいこんでいる達也に私の荷物まで持たせるワケにはいかない。
だけど私が両手で持ち替えながらせっせと運んできたそれは軽々片手で拾い上げられ、達也はそのまま何食わぬ顔でエントランスへ向かって歩いていった。慌てて背中を追いかけ取り返そうとしてもアウトボクサーの華麗なフットワークで易々と避けられてしまう。
「ねー、それ牛乳入ってて重いから」
「だったら尚更オレが持ちゃあいいだろ」
「いいくない」
「お、カレー粉発見。今日の夕飯?」
「返してくれたら教えてあげる」
立ち止まった達也はふーっと長く息を吐いた。さあどう出るか。視線で問えば達也は空いている方の腕をおもむろにこちらへ伸ばした。
差し出された手。デジャヴを感じる構図だけれど、今度はその手におみやげの袋が握られていない。
「じゃあはコレ持ってて」
「コレ、とは」
空っぽの手のひらを見つめているとため息がもうひとつ聞こえた。
「オレの手」
どうやっても私に荷物を返す気は無いらしい。これ以上意地の張り合いは無意味と悟り、促されるまま手を繋ぐコトにした。

「合宿楽しかった?」
「相変わらず容赦ねぇメニューだったぜ」
エレベーターを待つ間、唯一持たせてくれたお土産の袋にそっと視線を落とす。サービスエリアの名前が印字された紙袋の隙間から見えたのは私好みのカワイイ缶の入れ物。中身はキャンディか、クッキーか。チョコレートかもしれない。いずれにせよ今日明日で賞味期限を迎える見た目はしていない。
急がなくったっていいのに。明日でも構わなかったのに。
でも、きっとそうじゃない。
あまり表に出ない彼の性格もこれまで一緒に過ごしてきて多少理解したつもりだ。いつも優しいけれど、こんなふうにたまに素直じゃないところとか、ね。
「今日、来てくれて嬉しかったよ」
電子音の合図とともにエレベーターに乗り込んで、隣のすまし顔とちょっとだけ距離を詰めてみる。
「早く達也に会いたいなーって思ってたから。ほら、合宿中全然話せなかったし」
しっとり汗ばんだ手がぴくっと反応する。返事はない。隣を見上げれば薄暗がりの中に浮かんだ表情は

さ さっきまでと違う顔

をしていた。
「……オレも」
例えるなら仕掛けの分からないマジックを見た後のような。
怒ってる?いや、むしろ照れに近いのかも。鈍い機械音に混じって聞こえてきた声はそんな感じがした。
「実を言えばよ。青木がトミ子トミ子ってすっ飛んで帰ったの見たら、なんか無性に……顔見たくなって、その」
「ふふ」
エレベーターが止まって、開いた扉からピークを過ぎた夏の風が愛しい横顔を通り過ぎた。