特戦部隊に訪れた貴重な休暇。飛行船の中ではまだうっすらと幼さを残す青年が鏡越しに最後のチェックを済ませているところだった。お気に入りのシャツの乱れも髪型の微妙な角度もしっかりと手直し、まさに彼が出掛けんとする時に雄獅子のたてがみを思わせるような硬い髪を乱暴にかきながら
一人の男が近づいてきた。
「おいリキッド」
「な、なんですか。隊長」
この男に関わるとロクなことがないということは嫌というほど体にしみ込んでいる。リキッドは男の姿を見るなり青い顔で半歩後ずさった。
「これマーカーに渡しておいてくれ」
「マーカー?どこに居るんスか?」
「んなもん知るか。テメェが探して渡してこい。あ、急ぎの用事だからぜってぇ今日中に渡せよ」
「い、いや、俺、これから久々に会う友達と約束が」
「頼んだぜ!」
リキッドの言葉を聞いているのか、いないのか。(多分聞いていた)分厚い紙の束を半ば押し付けると、ところどころに赤ペンで印が入れられている新聞を握りしめハーレムはどこかへ行ってしまった。
「クソッ、あの獅子舞めが……」
「なんか言ったかァ?リッちゃーん?」
「いえ!何もッ!!」
普段なら給料袋の一つや二つむしり取られているところだ。これくらいで済んでよかったと無理やり思いなおし、リキッドは大きく肩を落としながら飛行船を後にした。
リキッドが一番先に向かったのはガンマ団の寮。
普段飛行船であちこち飛び回る特戦部隊にはあまり使うことのない部屋だがリキッドの知りうる限りマーカーは休日に張り切って外出するタイプではない。彼の休日の過ごし方は自室に居るか、どこかで鍛練……と言ったところだろう。
特に最近マーカーは飛行船の整備担当に配属された数少ない女性整備士、といつの間にか好い仲になっているようで、二人が仲睦まじく話をしているところをリキッドは何度も目にしていた。なので、十中八九自室にいることは見当付けていたのだった。
「……どーせちゃんとイチャこいてんだろ」
悪態をつきながら明かりの灯るマーカーの部屋の窓を確認して寮の中へ入って行くとリキッドを迎えたのは
り 料理くらい出来ます
と、栗の弾けるような激しい女の声だった。
続いて聞きなれた不満げな声もドア越しからリキッドの耳を突き抜ける。
「、料理が出来る出来んは聞いていない。私が用意するから貴様は何もするなと言っている」
不穏な雰囲気を察知したリキッドは呼び出しベルを押す事が出来ずしばしドアの前に立ち尽くした。その間も中に居るマーカーとの諍いは加速してゆく。
「マーカー……明日もう行っちゃうんでしょ?朝も早いんでしょ?そのくらいさせてってば!」
「中華粥なぞ作ったこともないやつが偉そうに。いいからその鶏ガラをよこせ」
「嫌!嫌よ!この鶏ガラもマーカーより私にダシ取られたいって言ってるわ」
「貴様に鶏ガラの気持ちが分かるのか!!」
「わっ……分かるわよ!!!」
「フン、貴様馬鹿な上に妄想癖まであるのか」
「違います!私、お粥のレシピだって、ちゃんと調べるし。早起きだって出来る……もん。朝ごはんのお粥くらい作れるわ」
「単に米を煮込めばいいと簡単に考えたら大間違いだぞ。中華粥と日本の粥とは訳が違う」
「マーカー、どうしてよ?」
言い合いが続く内に、の声がどんどん水気を帯びてくる。
「私、マーカーみたいに戦えないし、出来ることってほとんどないから、朝ご飯くらい、作らせてほしいだけなのに……」
「……」
「……鶏ガラは、渡せない。ねぇ、なんで私には何もさせてくれないの?私って、邪魔?迷惑?」
の絞り出すような声に、ドアを隔ててリキッドは自身の記憶を重ねていた。役に立ちたいのに何もできない不甲斐なさ、手練れ揃いの中、唯一新人として働くリキッドにとってそれは痛いほど分かる辛さだった。
の気持ちを思うとリキッドはカッと頭に血が上り、二人の空気が云々などお構いなしに勢いよくドアを開けた。
「おいマーカー!ってうぉ!!」
リキッドの眼前には涙目のと無表情のマーカーが立っていた。ただ、二人の手からは真っ赤な液体が滴り落ちていて、手には何かの塊が乗っている。
よく見ると、鶏だ。
二人が取り合ってるのは血だらけの鶏だった。
「ん?」
マーカーとが突然開いたドアの方に体を向けると、必然的に鶏もリキッドを向く。更に目を凝らして見ると鶏の首から下はくっついておらず、首はの右手、胴体は左手に収められていた。
ふいに、リキッドと鶏と目があう。
その目は濁っているのに妙に赤々と血走っていて不気味な生命感を漂わせていた。
ゴクリ、と生唾を飲み込むと
一瞬にちゃり、と鶏が笑ったようにリキッドには見えた。
「ギャー!鶏の生首おばけー!!」
ハーレムからの預かり物をその場でぶちまける事も厭わずリキッドは大声を上げて走り去った。
「?今のって……リキッドくん?」
「知らん。それよりも私のこだわり鶏ガラ(になる予定)を返せ」
「だからマーカー……っ!」
「明日、粥を作るのだろう?さっさとダシを取らねば間に合わんだろうに」
「え?」
「貴様一人に任せるとロクなことにならんことは目に見えている。なら私が見張っててやると言っているのだ」
マーカーはそう言ってから顔を背けたが、朱に染まった頬は隠し切れていない。
「お前も最近は戦艦の修理と整備に追われているのだろう?私も、案ずる気持ちは同じなのだからな」
「あ、ありがとうマーカー」
ふわりと、香りたつように咲いた笑顔へマーカーは蝶の如く唇を寄せたのだった。
「ほら、早くそのトリを持ってこい。さばくぞ」
「うん!トサカは煮物にするからちぎっとくね!」