れ Rescue me!
トス、トス、と乾いた靴の音が荒々しく響く。ポケットに手を突っ込み、誰もいない廊下を闊歩する男の形相は見るからに憤怒に歪んでいた。彼の名は、毒丸。陸軍きっての特秘機関、零部隊の一員である。今彼は恋仲であり同僚である
を探して軍舎内を練り歩いているところであった。
「ったく!どこ行きやがった!!」
今日この場所を通るのは何度目だろうか、考えたくもない。しびれを切らした毒丸は心中の苛立ちを吐き出すように大きく声を張り上げるがその声は尋ね人の返事を連れてくることなく、廊下に反響してむなしく地に落ちた。こうも
の姿が見当たらないのは彼女の意図的なものと既に察しはついている。毒丸は乱暴に髪を掻きむしった。もはや自分の力ではどうする事も出来ない、八方ふさがりな今の状態がひどく苦痛だった。しかし、解決策を導き出すのに細かい思考を張り巡らすのも彼の性分に合わなかった。
小さく息を吐き出した毒丸は当てもなく探すのを止め、他の隊員に
の行方を聞く手法を頭の中で模索し始めた。そういえば今日は、鉄男が中庭で自主鍛練をするようなことを言っていたと毒丸はふと思い出した。中庭は今毒丸がいるところからそう離れていない。普段
は兄や父かのように鉄男に懐いているので何か手掛かりがつかめるかもしれないと中庭を次の目的地に決定した。
元来た道を戻ろうと、くるりと方向転換した毒丸は大きく目を見開いた。
ほんの一瞬だったが毒丸の目には長い髪がすっと、廊下の角へ引っこんでいくのが映りこんだのだ。
だ。毒丸は瞬時に確信した。
この建物にいる人物の中で、あんなそよ風のような揺れ方をする髪の持ち主は
しか知らない。
急いで毒丸も角を曲がるとやはり、その髪に見合った華奢な体の女が一人毒丸に背を向ける形で歩いていた。
「
!!」
突然落ちてきた怒号を受けて、細い背中は電気が走ったようにピリっと伸びる。恐る恐る振り向いた
は、声の主が毒丸だと確認するとわき目もふらずに走って逃げだした。
「おいこら!待ちやがれ!」
「ごめんなさい!ごめんなさい毒丸!!」
「『謝れ』じゃなくて『待て』っつってんだ俺は!」
の背中を追って毒丸もすぐさま駆けだす。
は必死に長い廊下を駆け抜けるものの、毒丸の節くれだった手が
の腕を掴んだのを合図に全速力の追いかけっこは毒丸の勝利で早々に幕を閉じたのだった。
「キャー!助けてぇぇ!!」
「うるせぇ!逃げんじゃねぇ!!」
「だって……逃げなきゃ毒丸怒るでしょ?!」
腕をくねらせ逃げようとする
を毒丸は後ろから羽交い絞めにして押さえつけた。
しかしなおも
はモゴモゴと脱出を試みる。
「怒られる認識があるって事はテメェの罪は認めてるんだな」
「うぅ……」
「まー毒丸くんったら、朝から彼女襲うなんて野蛮~」
その時突如わいた第三者の声が耳に届き、二人の動きがぴたりと止まった。
その内容を理解するや否や、カッと顔を赤く染めた毒丸の腕が緩んだ一瞬をつき、
は押さえつけられていた体を器用に離して、声の主へと駆けよった。
「お、さっきのいい身のこなしだったよ、
」
「えへへ、ありがとう茶羅さん」
茶羅は
に向かって垂れた目を更に下げて微笑んだ。
「けど。
うるっさいんだよアンタたち。朝からイライラさせないでほしいね」
「茶羅、オメェ何しに来やがったんだよ」
「陸軍の人間が軍舎の廊下歩いてるのが何かおかしい?そっちこそ何公共の場で痴話喧嘩してるのさ」
感情の伴わない笑顔を貼りつけたまま、茶羅は
の鼻をぎゅっとつまんだ。
「コイツ、また密偵調査で相手の男殴り飛ばしたんだよ。それと痴話喧嘩じゃねえ」
鍵を回すような動きで
の鼻をねじっている茶羅をひとにらみして毒丸は二人の間に割り込んだ。茶羅の視界から隠すように
を自分の背中へ押し込むがひょこりと顔を出した
は口をとがらせ主張しはじめた。
「だってあのクソ男、秘書役で潜入した時、わざと私のお尻触ったのよ?むしろ殴られたくらいで済んでよかったくらい思ってほしいわね」
「でもそれじゃあ『密偵』調査になんねーだろうが。そのすぐブン殴るクセどうにかしろ」
「『クセ』なら直るかもしれないけど、そういうもんじゃないよね。『人格』ってさ」
「茶羅は黙ってろ!」
「あはは、怖い怖い」
毒丸は
の手を掴むとぐいっと引っ張り早足で歩き出した。
「とにかく大佐に報告しに行くから
も来い!」
「いやぁぁー!茶羅ー!茶羅ー!」
「面倒事はごめんだよ。頑張って」
「はっ、薄情者ーッ!」
はとっさに茶羅へ助けの視線を送るが茶羅はひらりとそれをかわした。
は半ば引きずられながら毒丸とその場を後にしたのだった。
「ねぇ毒丸ー。任務失敗しそうになったのは謝るけどさぁ、さっきも言ったけど私お尻触られたの。しょうがないじゃない」
茶羅の姿が見えなくなると、
はずんずん歩いて行く毒丸へ不満めいた口調で言葉をかけた。
「だからって後先考えず暴れていいってことにはなんねーはずだ。その場くらい我慢しろって」
「何?じゃあ毒丸は尻くらい黙って触らせとけとでも言いたいの?」
「そうじゃなくってー……ああ、クソッ」
急に足を止めた毒丸は
へ向き直った。いつになく真剣な眼差しを一心に受けて、
は驚いた様子で毒丸を見た。
「そういうヤローは後で俺が全部落とし前付けてやるから
は手ェ出さなくていいっつってんだよ。潜入調査で手薄なとこ、なんかあったら危ねぇだろうが」
普段冗談めいた言葉や態度が多い彼の口から飛び出した真摯な言葉は
の頬へ熱を灯すのに十分だった。真っ赤になった
の熱が移るように、彼女の様子を見た毒丸の顔にも徐々に熱が溜まってゆく。
「とりあえず……その、次から我慢しろよな」
「う、うん。ごめん毒丸」
急に気恥ずかしくなり、お互い顔をそらす。今まで感じたことのない、付き合った当初でさえもここまでは感じなかった柄にもなく純粋で、春の日差しの様な気持ちが二人の間をまとわりつく。波打つ胸を深呼吸で押さえながら、蘭がいる指令室までが遥か彼方にあるような気がして思わず
「助けてくれ」
と、叫びたくなった。