「すいませんねぇ、今日はもう品切れで……またぜひよろしくお願いします!」
店先に現れた青木がのれんを下げるのを見て、人集りから残念そうな声が次々に上がる。今や超人気ラーメン店となった中華岩田では日常茶飯事の光景だった。ばらばらと大行列がほどけてゆくのを青木はいつものように見送っていたのだが、今日はその中に一つ、動かない影が目に留まった。
「入れよ」
人影の正体に気付いた青木は人が少なくなったのを見計らい、先程までの愛想の良い笑顔をつんと尖らせて声をかける。玄人好みの店構えにはいささか不似合いな膝丈のフレアスカートが彼の背中を追ってふわりと残暑の昼下がりを泳いだ。

「お仕事の邪魔してすみません」
「別に。今日はなんの用だよちゃん」
カウンターの隅にぽつんと座るには目もくれず、厨房で淡々と仕事をこなしながら青木は投げかけた。
「今日は、その。青木さんに聞きたいことがありまして」
「なんだ?」
「えっと……」
一言そう言ったきり、待てど暮らせどから質問は一向に出てこない。昼間の賑やかさから一転、2人しかいない店内には静寂が横たわり、流水と食器のぶつかる音だけがかろうじて間を繋いでいた。うんともすんとも言わないを青木は一見して、すぐに手元へ視線を戻す。俯くの表情はすこぶる暗かった。
「用がないなら帰んな。湿っぽい顔で居座られちゃ景気が悪くて仕方ねぇや」
痺れを切らした青木がせっつけばびくっと肩を震わせすみません、と小さな声がようやく返ってきた。
「あの。青木さん」
吹けば消し飛びそうな声が続けて青木の名前を呼ぶ。
「思い切って聞きます。青木さんは、トミ子さんのどこが好きなんですか?」
顔を上げたの視線が青木とぶつかった。
「聞いてどうすんだ」
「参考にします。……好きになってもらえるように」
キュ、と金属の擦れる音と共に流水音が消え、無音となった空間に青木の靴音が短く響く。カウンター越しにを見下ろす青木の眉間には深深と皺が寄せられていた。
ちゃん。残念だけどオレの好みを聞いたって通用しねぇよ」
も揺れる瞳でじっと青木を見つめ返す。
小さく息を吐き出し、青木は言った。
「オレと木村の女のシュミはちげーからな」
そうですか。はおもしろくなさそうに頬杖をついた。

「青木さんがトミ子さんの好きなところを見習えば私も……木村さんに少しは意識してもらえると思ったんですけど」
「木村なんざちゃんが手ェ握ってほっぺにチューでもすりゃ一発KOだよ」
顔を赤らめて猛抗議するの後ろにはガラス張りの入り口から9月の高い空が透けて見える。その秋空に似た色のシャツが以前からあの手この手で目の前の彼女と二人きりになろうと奮闘していた姿を思い出して青木は生熟れの桃を齧ったように笑うのだった。


あ 愛の神よ、照覧あれ
見てんならさっさとこいつらをどうにかしてくれ!