日々戦いに明け暮れる反乱軍に訪れた束の間の休息。およそ400ガロン、つまりリッター換算すると……「たくさん」のワインを積んだトラックが停まった一角は大きな歓声に包まれた。今ばかりは銃をグラスに、爆弾をチーズに。ある者はギターに持ち替えて皆、歌い踊る。そんな中、少し離れた席で一人赤い輝きを傾けていたリコの目が浮かれた戦士達の合間を縫ってせっせと世話に動き回る一人の姿を捉えた。
も座ったらどうだ」
「あらありがとうリコ。でも私お酒飲めないから」
声をかけるとその影の主、は皿やグラスを両手に持ちながら彼の申し出をやんわりと断った……はずだった。いや、確かにこの時には断っていた。しかし太陽が傾き、藍が朱を飲み込んだ頃、次にリコがを目にした時には
「んもぉー!許せなーい!!」
顔を手に持っている葡萄酒の如く真っ赤に染めて、地べたへ這いつくばるように座り込んでいた。
「ねぇマリオもそう思うでしょ?!」
「ええ、ええ、様のおっしゃると~りでゴザイマス」
マリオが返事をすると、周りにいる水色の戦士たちからどっと笑い声が巻き起こる。
「誰だ彼女に呑ませた奴は。酒は無理だと言ってなかったか?」
「よう兄弟。いや誰、とかじゃなくてな、なんというか、言うなればその場の雰囲気ってやつ?」
「ちょっとぉー!聞いてるのぉ?!」
「おー、しっかと聞いてますよー……やれやれ。こりゃとんだ暴れ牛だよ、リコ」
肩をすくめたマリオといつもの険しい表情で腕を組むリコの視線がの後ろ姿に注がれる。先ほど周りが笑ったのは決してマリオのおざなりな返事だけが原因ではない。泥酔したが「マリオ」と話し相手の名を呼びながらワイン樽に向かって一生懸命喋っていたからだった。
「うわっ、お嬢ちゃん大丈夫なのかい?」
そんなを見て、横を通りがかった2人組が足を止め心配そうに声をかけてきた。一人は見た感じよりも少し年上だろう女性、もう一人は壮年の男性。リコ達に話しかけたのは後者の男性だった。二人共首元や腕には反乱軍のシンボルである水色のスカーフを巻いており、背負っていた銃を半分下ろして肩にかけているところを見ると見張り番の交代で今しがた高台から降りてきたのだろう。
「マリオってば!もー!!」
「大丈夫かはさておき、元気いっぱいではあるな」
「そこに仮眠用のテントがあるから寝かしてやったら?」
苦笑いを浮かべた女性に言われるがまま、指先の示す方にマリオとリコが視線を移せばなるほど、ワイン樽の奥に見張り用の小さい簡易テントが張ってある。
「ああ、そうするか」
口こそ達者なものの、地面に転がるの姿はさながらアメーバのよう。大して力も入っていないくにゃくにゃの体からリコはの腕を掴んで肩に回し、むりやり体を起こさせた。その様子をしばし見守っていた二人組は彼らに任せてよしと判断すると、軽く手を挙げウェポンラックまで銃を置きに歩いていった。
「あっディマ聞いてよぉ~」
そしては、隣にあるリコの顔を見て彼らの旧友の名前をふにゃふにゃと口にするのだった。
「ふむ、ずいぶんたくましくなったな『ディマ』」
「本人に言うなよ。どやされる」
リコは口調で牽制をし、当然二人でを運ぶつもりだったため顎でのもう片側を支えるようマリオに合図をしたのだが
「じゃっ、頼むぜ兄弟」
「おいマリオ!」
近くに転がっている栓のついたワイン瓶を手に取り、マリオは演奏グループの輪の中へそそくさと姿を消してしまった。先程の二人組の背中はもはや遠く、横には「ディマ」と鳴く暴れ牛。捨ておくわけにもいかず、リコはため息をついてを横抱きにするとテントに近づいていった。
「もーっほんとにズルいわよ。ねえディマ?」
「まったく。一体何がそんなに不満なんだ」
狭いテントの中で寝かされてなおも「モーモー」とおかんむりの暴れ牛に向かってリコはブランケットを放り投げた。
「だって、リコが」
そのままテントを後にしようと背を向けたリコだったが、から唐突に飛び出したのは己の名。ぴくりと足を止め片眉を上げたリコは狭苦しいテントの中にもう一度戻り、うつろな目でブランケット抱いているに向かい合った。
「『リコ』がどうした?」
「リコが……牛にキスするから」
「なんだそれ」
おそらくはワインを運ぶ前「モ~リオ」のつまらない茶番に彼が付き合ってやったことを言っているのだろうが、それと彼女の不満の因果関係に皆目見当がつかない彼は渋い表情で言葉の続きを待つ。
「だって、牛のくせにリコにキスしてもらえるなんてズルいじゃない。許せない。うらやましい。私も牛になりたい。今日から」
「お前、俺にキスしてほしいのか?」
思ってもみなかった熱烈な言葉の羅列を受けてリコは冗談めいて問いかけるが、の反応は予想に反してシリアスだった。
「一回でいいの。私、その一回があればずっと幸せな思い出にできるから」
……」
普段男女の区別なく誰に対してもあっけらかんとしているから吐き出されたあまりに無垢な感情を前に、くしゃりと切なく歪んだ瞳には、ただただ大きく見開かれるリコの瞳が映り込んだ。
「リコには内緒よ、ディマ……お願いね……」
その後、うわ言のようにもごもごと何かを呟き、程なくしてからは規則正しい寝息が聞こえてきた。くしゃくしゃになったブランケットと、の顔にかかった前髪。リコの武骨な指先がそっと上を滑り、整えられる。を見つめるブラウンの瞳は眩しそうに細められていた。
「俺もしてやりたいさ。一回じゃ足りない、何回でも」
横に手をついての唇に顔を近づけるリコだったが、ふと何かを思い立ち、低く唸って顔を傾けた。
ギターの音色と調子っぱずれな酔っ払いの歌声が星空へ高らかに響く。いつもよりボリュームの大きい話し声、グラスのぶつかる音、それらの喧騒に紛れ、の頬の上で密やかに音を立てたリップ音は誰にも届くことは無い。
樽に眠る残りのワインは――ガロン、リッター換算するとおよそ……「たくさん」リットル。宴はまだまだ終わらない。
酔牛はアクィラの夢を見るか
2021/08/05