(4)
「お、お二人、こっち来てません?」
一触即発の間柴と木村から離れよろよろと
と
が向かった先はちょうど一歩と久美がいるベンチの方角だった。慌てて後ろを向いて背もたれの裏にしゃがんだ一歩と久美の背中から聞こえてきたのは木の軋む音と二人分の声。真後ろにいる二人に感づかれぬよう猛スピードで駆ける心臓を抑えつつ静観組は必死に息を殺していた。ただでさえしっちゃかめっちゃかなこの現状、登場人物が増えれば輪をかけてややこしいコトになるのは目に見えている。
「はぁーっ、もーなにがなんだか!頭パンクしちゃう!」
ベンチに座った
はため息交じりに言葉を吐き出すと大きく天を仰いだ。
にしてみれば職場で出会った片思いの相手はただの社会人ではないコトが発覚し、プライベートの友達と友達が連れて来た初対面の人間はすでに顔見知りで、しかも出会い頭に言い合いを始めたワケだ。理解の範疇はとっくに超えていた。
「しかも間柴さんがボクサーってマジ?」
「最近までチャンピオンだったすーっごい強いボクサーなんだから」
の隣に腰掛けた
はボクサー・間柴了について一通り説明を始めた。間柴はチャンピオン経験のある日本でも注目の選手だというコト、自分の連れである木村と同じ階級だというコト、二人は過去タイトルマッチで競った間柄だというコト。
の話を聞くうちに少しずつ霧が晴れるがごとく四人の関係性が見えてきた
の顔には疑問に代わり動揺の色が徐々に浮かび上がってきた。
「友達の好きな人の名前くらい先に聞いとくべきだった。
ごめんね、せっかく初めてのお出かけなのに台無しにしちゃって……」
「ごめんはこっちのセリフだよ!」
突如勢いよく立ち上がった
をもう一度座らせようと
が手を伸ばす。光る指先に触れると微かに震えていたのに気付き、
は目を見開いた。
「あそこで間柴さんと言い合ってる男の人、
がいっつもカッコイイって話してるカレでしょ?私あの人の天敵みたいな人連れてきたってコトじゃん。……もし
と関係こじれたりしたら、私……」
「もうっ、人より自分のコト気にしなさいよ。私は大丈夫だから」
「ちゃんとあのオニーサンに説明して謝ってこなきゃ!」
は大きく言い放つとくるりと
に背を向け、間柴と木村の元へ大股で近づいて行った。
「オニーサン!ごめんなさい!」
間柴との攻防に割って入った一際元気な謝罪を受けて二人の視線が
に注がれる。何か言いたげな間柴を横目に、
は木村に近づき大きく頭を下げた。
「あ、
ちゃんの友達の……」
「
です!」
「お、おう。
ちゃん。初めましてだな」
「あの、
は悪くないんです!」
「……はぁ」
が木村ににじり寄る分だけ、得体の知れぬ圧に気圧された木村はずりずりと後ずさった。
「今日こんなになっちゃったのは私のせいで
はひとつも悪くないの!だから
のコト……ぐえっ」
「コイツに近づくと雑魚が感染る」
「あ、ちょ、間柴さん!!」
勢いが先走り本来伝えたかった内容がまともに伝わらない
の主張は間柴が
の首根っこを引っ付かみ木村から引き剥がして幕を閉じた。そのまま間柴は木村から離れ、距離を取り、大きく離れても歩みは一向に止まらない。足の向かう先が横断歩道の先だと感づいた
は強引に間柴の手を振り払った。
「ったく、てめえに付き合うとロクなコトがねえ」
「ごめんなさい。間柴さんの気晴らしをしたかっただけなんです」
「オレの気晴らしにどうして人を連れてくる必要がある」
「それは」
「一人いれば十分だろうが。……行くぞ」
信号が青に変わったタイミングで間柴が
の手のひらを捉えると半ば引きずるように車道の先へ渡ってゆく。
「いたいいたい!爪剥げる!午前中サロン行ったばっかなのにーっ!ああっ
!今度埋め合わせするからーーっ!!」
こうして通行人の注目を集めながら間柴と
の背中は雑踏の中へ消えていった。
「……なんなんだよコレは」
あっけにとられた木村の横で
を追いかけベンチから移動してきた
が縮こまって下を向いた。
「木村さん。今日は巻き込んで申し訳ありません」
「
ちゃんも十分巻き込まれたように見えっけど?」
は木村の返答を聞いて小さく唸った後、言いにくそうに「否定はしません」と苦笑した。
「
、すごく友達思いでいいコなんです。アクティブだからたまにカラ回っちゃうだけで……」
「分かってるよ」
あの間柴が必死になっちまうくらいいいコなんだろ。木村は声にこそ出さなかったが、間柴の
を見る目やふとした仕草から間柴にとって彼女がどういう存在であるかは薄々感じ取っていた。同じ睨まれるにしてもここで顔を合わせてすぐの目つきと、自分から
を引きはがす時に見せた目つきは違う。後者から感じる何がしかの粘っこい甘味は、もしかすると同じ男にしか気づきえない類のものかもしれない。
「さて、アイツら勝手に行っちまったがどうする?追いかけて合流ってのは勘弁だぜ」
植え込みの中にある大きな時計が指し示すのは夕食には少し早い、ちょうど居酒屋などが看板に明かりを灯し始めるような時間帯だ。
「映画、まだ間に合いますかね」
「上映時間確認しにいってみるか」
「はいっ」
の返事を合図に木村と
も間柴達とは反対方向へ並んで歩いて行った。
「なんか、収まるところに収まったって感じですね」
嵐の過ぎ去った広場で四人の姿が完全に見えなくなるとほっと一息ついた一歩と久美がようやくベンチの後ろから立ち上がった。
「幕之内さん。ありがとうございました」
「いやあ、ボクは何もしてないですよ」
「私、お兄ちゃんのあんなリラックスした顔、久しぶりに見ました」
幾分すっきりした顔で久美は間柴達が向かった先を眺めていた。
「この前の試合からずっと気持ちが塞いでいるのには気付いてました。でも私には何もできなくて……さっきの、
さんのご友人のおかげです」
「今度先輩に紹介してもらいましょう。クミさん」
「ええ」
爽やかな笑顔を見せた二人は軽い足取りで駅へと向かい、誰もいなくなった待ち合わせ場所には人混みの気ぜわしさだけがそこに残っていた。
GOODTIMES 199X
2022/02/17