※過去拍手夢

ざわざわと活気づく平日夜のファミリーレストランで別段暗くない店内が一瞬、パッと明るくなった。少しして低い轟きが遠くに聞こえ背中のあたりからもやっと嫌な感情がにじみ出てくる。勘違いであれ。という私の願いは虚しく、程なくして外のホワイトノイズが存在感を示しはじめた。
「うわっ、今日雨だっけ?」
向かいに座る木村さんはチキン南蛮の最後の一欠片を口に入れながら渋い顔。
「傘マークついてなかったハズなんですけどね」
私はそれに平然を装って言葉を返すが、実のところ心中穏やかではない。だって「アレ」は夜だと特にイヤだ。外の暗さで余計に光が際立つから――そんなコトを考えているうちにガラス張りの壁の向こうがまた瞬いて、今度は思わず目をつぶってしまった。そして暗い視界に転がり込むさっきよりも大きな空気の振動音。ああ、きたきた。吐き出した最大肺活量のため息が食べ終わったパスタ皿の上を吹き抜けた。
「なに、どうしたよ」
突然首をたれた私にちょっと笑って、木村さんが不思議そうに問いかけてくる。
「外……雷鳴ってますよね」
「あー。ちゃんもしかして苦手?」
「お恥ずかしながら」
今日履いてきたお気に入りのパンプスが濡れようとも、この際雨は許そう。しかし雷だけはどうにもこうにも小さい頃から苦手なのだ。にわかに訪れるフラッシュも、その後いつ来るか分からない腹に響く大きな音も。怖い。
こんな日はいつもなら大音量のウォークマンを耳に突っ込み最低限の視界をもって家まで逃げ帰るけれど、今は木村さんと一緒の手前その方法は使えない。ちらりと見やる時計の針は普段「そろそろ出ようか」とどちらからともなく口にする時間に迫っている。あとは帰るだけ……雷の中を。木村さんと別れるまでまともに振舞えるだろうか。いや、まったく自信がない。どうしよう。
「……帰りたくないなぁ」
そういった経緯で口をついてこぼれたこの発言はもちろん雷に対して、なのだが、木村さんからの返答はなく。代わりにむぐ、と言葉にならないうめき声を漏らして居心地悪そうに頭を搔く彼の姿が目に入り、そこでようやく自分の発言を客観的に見直した。もしかすると今、ものすごくダイタンなことを言ってしまったんじゃないか。そう気付いた瞬間顔がかっと熱くなった。
「あああのですねっ、これは雷が」
「なんか、そう言われるとよ」
視線はかち合わないまま、腕を組んだ木村さんが私の弁解に言葉を差し込む。
「……はい」
「オレも帰したくねえ、っつーか」
むぐ。息をのんで次は私がうめく番。あさっての方を向いていた木村さんは目が合うとびくっと肩を震わせてすぐさま身を乗り出した。
「い、今の気持ち悪かったらゴメン」
「全然そんな」
「そのーつまりよ!オレが言いてえのは怖がってるちゃんを今外に連れ出すのは忍びねえってコトであって、けっしてヘンな意味では」
「ええ!分かります!」
得体のしれない焦燥感に無理矢理押された会話は長く続かない。重苦しい雰囲気の中で次の言葉を探しあぐねていると視界の端がまた光って轟いた。相変わらず雨粒はガラスの表面やアスファルトの上で忙しなく弾け続ける。空模様を一目見た木村さんは心配そうに眉を下げて椅子に座り直し、テーブルの横へと手を伸ばした。
「まあ、外もこんなだし。もう少し待って様子見ようぜ。デザートでも追加してさ」
「そうしてもらえると助かります」
「じゃー決まり」
「ありがとうございます」
木村さんがにこっと笑って、私も笑い返す。そこからは元通り楽しい夕食の続きがゆるやかに始まってさっきのコトなんて忘れたふうを装うけれど、体の奥はずっとどくどく震えて止まらない。もう、なんて心臓に悪い夜なんだ。駆け抜けるフラッシュと切り裂く轟音――それは雷のせいか、はたまたデザートメニューを差し出す目の前の彼のせいか。
どちらにせよ今夜は眠れそうにない。
ミスターサンダーボルト
2021/07/28