考えてみればこれまでが私には過ぎたロマンスだったのだ。
今日だって突然メールを送ったにも関わらずすぐ返信がきたことや、練習中だったろうに『オレもすぐ行くから』と時間を作ってくれたこと、私の好きな喫茶店を待ち合わせ場所に提案してくれたこと。私の注文したホットコーヒーと同じタイミングで入店した時、まだ髪がうっすら湿っていたこと。
そんな小さなひとつひとつが嬉しかったりドキドキしたりして、カウンターに並べられたサイフォンのように勝手にポコポコと熱を持ってしまった。
私は木村さんの恋人でもなんでもないのに。

「……え?」
リボンのかかった紙袋の向こうで木村さんが見せた険しい顔はどうしても嬉しそうには見えなくて、私の想いは無意味な一方通行だと現実を突きつけられたような気がした。
知り合いに毛の生えた程度の女が大層に、と引かれただろうか。気味悪がられただろうか。
「すみません。ご迷惑でしたよね」
「いやっ、違うんだちゃん!むしろ逆っつーか」
「お気遣いいただかなくて大丈夫です」
「だからさ」
恥ずかしくて悲しくて、早く逃げたくて。でも最後の意地で手にかかる重みをむりやり木村さんに押し付け、幾分湯気が引いた目の前のカップを一気に空けた。苦い。そう、喉の奥がきゅっと詰まるのは飲み干したコーヒーが苦いからだ。
「お忙しいところお呼びだてしてごめんなさい」
「待ってくれよ!」
ガタリと椅子を引く音と同時にバッグから財布を探す手が熱い感覚に引っ張られる。身を乗り出した木村さんが私の腕を掴んだと分かったのは、石鹸の優しい香りがワンテンポ遅れて届いてからだった。
「ゴメン、マジで違うんだって」
「……木村さん」
「実はその。正直言っちまうとよ、今日ちゃんに会えたらいいなって思ってたんだ。 そしたらホントに連絡くれるし、こうやってオレの誕生日覚えてて、わざわざプレゼントまで準備してくれててさ」
かち合った視線をふいと逸らす険しい顔は見覚えがあった。
ちゃんにそんな気ないって分かってても期待しそうになるよ」
「期待って……」
「だってオレ、ちゃんのことが」
「あのー、すみません」
突如割って入った声に弾かれたように2人して座り直すと、お盆にカップをひとつ乗せた店員が居心地悪そうに立っていた。
「ブレンドコーヒーでございます」
そういえばあとから木村さんが注文していた飲み物がまだ来ていなかった。湯気の立つカップが木村さんの前に置かれ、入れ替わって隣にある空のカップを下げられた後、追加のご注文はよろしいですか?と私のお代わりを暗に尋ねられる。木村さんは曖昧に笑った。
「よかったらもう一杯付き合ってよ」
「……ブレンド、1つお願いします」
このコーヒーがまた空になったら、木村さんにさっき言いかけた言葉を聞いてみようか。そう思いながら普段入れない角砂糖をいくつか落として口をつける。飲み慣れないけど、2杯目は甘いコーヒーがいい。なぜだかそう思った。
「木村さん」
「な、なに?」
「お誕生日おめでとうございます」
ロマンティック薫る
2019/10/11