外は寒いけれど、新しい季節の空気は背中がしゃんと伸びる気がして心地よい。お気に入りのブーティーは本日お留守番。しめ縄飾りと正月休みの張り紙が並ぶ一本道、ボア付きのサボをつっかけて歩く。いつもより静かな町並みは退屈なのか、はなくろの野良猫が室外機の上でぶうとあくびをした。
「女のコってのは大変だな」
肩から提げたいつもより大きめのバッグを見て少し笑った達也はタオルと下着だけを放り込んだ小さな手提げをぷらぷら遊ばせている。シャンプー、トリートメント、ヘアオイル。保湿クリームは全身使えるやつを一つ。お肌に優しいボディタオルにバスタオルと、あとは石鹸。これでも吟味して荷物を減らしたつもりだ。
「男の人は荷物少ないよねぇ」
「グローブとシューズがなけりゃこんなモンよ」
湯気の甘い匂いが香ったら、横に停まる自転車を避けてカラリ。入り口のドアを開けた。
「時間、気にしなくていーから」
「ありがと」
さっぱり青い箱の石鹸を渡して達也は青い暖簾へ。
しっとり赤い箱の石鹸を持って、私は赤い暖簾へ。
飴色の下駄箱、整然と並んだ脱衣かご、アナログの体重計、なかなか髪が乾かない備え付けの小さなドライヤーもこれはこれで嫌いになれない。ほんのりと感じるノスタルジック。たぷたぷのお湯に体を預けた時のようにほっと心がとろけるこの空間は、この銭湯がある商店街全体の雰囲気とよく似ていた。
さくら商店街。そう、私の恋人が生まれて育ったところ。
「ほらよ」
先にお風呂から出ていた達也がニヤリと差し出した牛乳瓶で小さく乾杯して、気分はすっかり夢見心地。
「あーおいしー」
「たまんねーなァ」
でもそれは私だけじゃないらしく、隣でのんきに白ヒゲを生やした達也もずいぶんとゆるりんだらりんなご様子。
「達也くん」
「あっ、会長さん!」
ところがそんな私たちに初老の男性が声をかけてきた。ふにゃふにゃの背筋をぴっと正した達也はその方が商店街の会長さんだと教えてくれたので、私も横腹をつついて「くち」と忠告。達也は肩にかけたタオルで口元をぬぐって会長さんに向き直った。
「あけましておめでとうございます」
「二人でゆっくりしてるところ悪いね。挨拶だけしとこうかと思って。今年もよろしく、達也くんと……ちゃん、かな」
自己紹介をする前に私の名前を言い当てられて驚いた顔を見合わせると豪快な笑い声が飛んできた。
「いやね、木村さんとこの親父さん、達也くんが可愛い彼女連れてきたって嬉しそうに言ってたから。なるほど、こりゃべっぴんさんだなぁ」
「いえ、そんな」
「でしょ?」
気はずかしくて首を横に振る私をよそに、達也はニタニタと締りのない顔でそう返事をするから余計に照れくさい。
「『でしょ?』じゃないわよもう」
それでもこんなふうに些細で、肩まで浸かれる温度の幸せがここではよく似合う。そんな気がした。
心、たちのぼらせて
2021/01/05