「本当に後悔しない?」
「……私には木村さんしかいませんから」
ちゃんはそう言って左手をこちらに差し出した。
「ちゃんと証が欲しいんです。お願いします」
人はどんな世界でも形のないものを追い求め、手に入れた証を欲しがる生き物だ。
リングに降り注ぐ夕立のような拍手も「いい試合だった」なんて慰めの言葉もいつかは薄れて消えちまう。欲しいのはチャンピオンという肩書き、そしてベルトという名の揺るぎない証。
恋愛だってそうだ。好きでいるだけじゃ満足できず、自分と誰かの関係に『恋人』だの『夫婦』だの特別な名前が欲しくなる。そしてその証は……揃いの指輪ってところか。
「いいんだな」
こくりと
ちゃんの首が縦に揺れたのを見てオレはその左手の指先……が持っているコントローラーを受け取った。
「ココにある空白のトロフィーが『上級モードでアイテムを使わずクリア』なんですケド、どうしてもこの中ボスが倒せなくてですね」
ブラウン管に映ったサイボーグのゲロ道みたいな敵を指差す
ちゃんの手に、ほかの男との「証」がはめられていないことに安堵しているオレは今現在、ベルト、指輪、まだどちらも手に入れられていない。残念ながら。
そして先程の話に付け加えるなら、ゲームクリアを求め、やり込んだ証である達成率100%のセーブデータを欲しがってしまうのがテレビゲームをたしなむ者の運命である。
少し前にゲームソフトを買った
ちゃんは、例に漏れずなんとかモードでクリア、とか何かのアイテムを全部揃えた、とかそういうゲーム内のトロフィーをコツコツ集めているらしい。
「弱点の心臓を狙おうと思って距離を取っても……ほら!こうやって一気に飛んでくるから防戦一方になるんですよ」
「懐かしいなぁ。いたなこんなヤツ」
ちなみにそのソフトはいわゆる「新作」ではなく結構前に発売されたタイトルだ。
攻略に行き詰まった
ちゃんから相談を受けすっ飛んでいったものの、オレも発売当初にやったきりですっかりカンが鈍ってしまっていた。
「チッ、上手くいかねぇな」
本日何度目かの「GAME OVER」を見つめながら大きく伸びをする。
「ゴメンな
ちゃん。倒せるまでちょっとかかるかも」
「いえいえ!こちらこそすみません。こんなコトで家まで来てもらっちゃって」
隣に座る
ちゃんが視線をこちらに移してしゅんとうなだれた。
「私の代わりに倒してください!って言っちゃいましたケド、ムリしないでくださいね。倒しやすい武器とかヒントを教えてくださるだけで十分助かりますから。あ、木村さん。お時間大丈夫ですか?」
「おう。今日は予定入れてねえから全然オッケーよ」
「よかったぁ~!」
ちゃんの問いかけに頷くと、サイボーグゲロ道も一撃でブッ倒れるような極上のスマイルが返ってきた。同時にふわりと甘いシャンプーの匂いがして無意識に心臓がバコバコと大きく音を立てる。
「このゲーム知ってる人他にいなくて、木村さんしかお願いできる人いなかったんですよ」
ああ、ゲーム屋でこれを手に取ったいつぞやのオレを褒めてやりてえ。じゃなきゃこの笑顔を独り占めするコトもなく、
ちゃんのいつもより少しラフな普段着姿を見るコトもなく、それどころか最悪別のヤローがここに座っていた可能性だってある。そんなのは断固拒否だ。
「なるほどな。まぁ、任せとけって」
「ふふっ、頼りにしてます」
なんの気なしに言ったであろうその一言で再びそそくさとスタートボタンを押した自分は単純だよなぁ、と我ながら思う。
仕方ねえよ、そういうもんだ。男ってのは。
「コーヒーのおかわり持ってきますね」と立ち上がった
ちゃんに短く返事をして、普段の生活ではまるで縁のない可愛いらしいクマ柄のクッションへ気合を入れて座り直す。アイテム補充が出来ないとなると銃弾やHPはなるべく温存、それから……。キッチンから流れてくるヤカンの音とコーヒーの香ばしい匂いを背景にせわしなくコントローラーのボタンを叩きつける。
……それにしても。
「
ちゃんがこういうゲームするの意外だな」
「あー、そうですかね?」
正面に見えるテレビ台の棚には女のコが好きそうなパズルや育成系のゲームソフトが数本置いてあるだけだ。その中で今やっている銃や特殊能力で敵を倒していくソフトは明らかに浮いているし、
ちゃんの歯切れの悪い返事も妙に引っかかる。
何となく腑に落ちないまま攻略を続けていると、ふと気付きたくもない妄想が脳裏にチラついてしまった。
男か?
こういう穏やかじゃないゲームとか、車やバイクとか、マイナーなバンドの音楽とか。男の影響で女のコが手を出し始めるってよくある話じゃねえか。どっと冷や汗が吹き出しすかさずキッチンへ目を向けると、食器棚を開けている
ちゃんはオレに背を向けていて表情は窺いしれない。
「ほ……ほら、テレビの下にあるソフトと全然毛色が違うしよ」
落ち着けオレ。呼吸を整え、まずは軽くジャブを一打ち。まだ見ぬ男の影を引きずり出すべく慎重に探りを入れる。
「たしかにこのテのゲームはやるの初めてです」
「ほぉー。どうして急に?誰かのオススメ?」
「うーん」
「気になるなー」
チラチラとキッチンへ視線を送っていると、食器棚からくるりと振り返った
ちゃんと目が合った。
「恥ずかしいなぁ」
恥ずかしいってなんだよ!
心の中で叫んだタイミングでゲロ道のボディフックを避けそこなったプレイヤーの体力ゲージが緑から黄色に変わった。――ダメだ、
ちゃんが気になって集中できねえ。
「なんだよぉ。オレと
ちゃんの間に隠し事はナシだぜ?」
「……このゲーム面白いって言ってた人がいたので買ってみたんです」
「男?女?」
「男性です」
「オトコぉぉ?!?!」
さすがに今度は心の中で抑えられるハズがなく、コントローラーを放り出してオレは立ち上がった。その拍子に足元のクマも逃げるように後ろへ飛んで行ったがそんなコトはもはやどうでもいい。
「お……オレの知ってるヤツ?!」
「まあ知ってるというか……」
キッチンから出てきた
ちゃんはコーヒーに波を立てながらテーブルにお盆を置いた。
「身に覚えないですか?」
「は?」
「木村さんですよ」
「……は??」
「だから!木村さんのコトですってば!」
そう言って
ちゃんはケラケラと笑い声をあげた。
「ヘンな言い方してゴメンなさい。ほら、この前一緒にゴハン行った時にゲーム屋の前でこれの続編予約してるって張り紙見たじゃないですか。木村さん、その時これすっごく面白かったって言ってたから新しいのが出る前に私もチャレンジしてみようかなーって」
「なっ…………」
「ホントは全部自分でクリアしてから木村さんと色々お話したいなって思ってたんですけど、私にはちょっと難しかったなあ」
大笑いの尾を引いた
ちゃんが肩を震わせオレの前に置いたのは、チャンピオンベルトのような丸い金細工のついたカップと、指輪に似た揃いのドーナツが2つ乗せられた皿だった。
所有と証
2022/6/30