重い男だと笑ってくれていい。オレはこれを最後の恋にしようと決めていた。青木がトミ子を見つけたように、オレにはちゃんしかいねえって思ったんだ。そのくらい真剣だった。だからこれまでみたく一人で空回って関係を途切れさせないよう周りが呆れかえるくらい長い時間をかけて大事に大事にちゃんとの距離を縮めてきた。そうしていつかオレの気持ちがちゃんに届いたときは花のひとつでも渡して彼女の手を取りたい。そう考えていた。
おかげで出会った頃に比べりゃずいぶん仲良くなれたと思う。例えば、去年みんなで行った花火大会に「今年は二人で行きたい」と誘ったら笑顔で首を縦に振ってくれるくらいには。
「ゴメン」
けれど思い描いた理想なんて高ければ高いほど少し指が触れただけで簡単にグラついて崩れちまう。
「ホントに、ゴメン」
「どうして――」
今日浴衣姿で待ち合わせ場所にやってきたちゃんは何度見たってすれ違う誰よりもキレイで、かわいくて。そんなコと屋台を回ったのも肩を並べて花火を見たのも全部オレなんだって始終独りでのぼせあがっていた。そんな時、駅に向かう帰り道で指がちゃんの手にたまたま当たった。それだけだった。
祭の浮き立った雰囲気に呑まれちまってたんだ。辺りの景色はとっくにいつもと変わらない風景へ戻ってるのに夢みたいな非日常の余韻だけがバカみてえにこびりついたままで、オレは触れたちゃんの手を……つい握ってしまった。いつもならこんなコト絶対しない。ハッと気づいてすぐ離そうとしたけど、ちゃんの細い指はオレの手に絡んで明確に握り返してきた。控えめな力加減がいじらしくてどこまでカワイイんだって思ったらもう坂を転げ落ちるみたいに止まんなくて、繋いだ手を引っ張り、目の前に流れ着いた白い花飾りを抱き締めて、それで……顔を近づけた。その時ちゃんの戸惑った表情を見たのに、だ。
「今のは、忘れてくれていいから」
唇が離れた後、ただただ困った表情で視線を逸らすちゃんの仕草でさっきの一瞬と引き換えに全部終わったんだと悟った。
オレは彼氏じゃない。ちゃんと付き合っていない。オレが勝手にちゃんのコトを好きなだけで、いくらちゃんが優しくたって本当のところどう思ってるかなんて分からない。これまで散々自分に言い聞かせて、だから絶対大丈夫だと確信が持てるまで時間をかけたハズなのに蓋を開けてみれば幕引きはこんなにも衝動的であっけない。後悔と罪悪感が体の中で渦巻くが自問したところで今、この現状が全てだ。
「……タクシー呼ぶよ」
これ以上寂しくなりたくなくて、黙って立ち尽くすちゃんに背を向け携帯電話を手に取った。でも。
「木村さんは」
通話ボタンを押す直前、名前を呼ばれて思わず振り返る。背中から聞こえたちゃんの声は震えていた。
「忘れて、いいんですか?」
怒るでも責めるでもない。ちゃんが口にしたのは予想の外からの問いかけ。
「木村さんにとって、さっきのはそんなふうに簡単に忘れてもいいようなコトだったんですか?」
ちゃん」
「私は……幕之内くんや青木さんと同じような、木村さんの、ただの友達だから」
「違う、オレは」
「だったらどうして――どうして『ゴメン』とか『忘れて』とか酷いこと言うんですか……っ」
そこまで言うと、ちゃんの目から大粒の涙が一筋零れ落ちた。それが呼び水になってひとつ、またひとつ。ぽろぽろと静かに泣き出したちゃんの俯いた髪から、花飾りが音を立てて地面に転がった。
「そうやって謝られたら、私、木村さんには相応しくないって言われてるみたいで」
ああ、頃合い?タイミング?本当は気付いてたさ、オレが思ってる「いつか」はとっくに手が届くところにあるって。それでもほんの一滴の不安を庇っていつの間にか今のどっちつかずな関係の上に胡坐をかいてしまった。手をつないだりだとか、キスしたりとか、その先の……そういうコトさえガマンすりゃ、今のままちゃんとずっと会ったり出かけたり出来るんじゃないか、「彼氏になりたい」と口にしなけりゃずっとこのまま隣にいれるんじゃないか、って。なのにそう言いつつも完全に諦めきれないから気のある素振りでお祭りへ誘ったり。矛盾してんだよオレは。だってこんなの好きだって言ってるようなモンじゃねえか。ちゃんだって二人で、と誘ったのにどういう意味があるか理解していないほど考え無しのコじゃない。それを承知でオレと会ってくれた。
言わなきゃいけねえことがあるだろ。いま、ここで。
きっとこれが最後のチャンスだ。
拾い上げた足元の花飾りをはらって、俯いたままのちゃんの髪に留めてからもういちど正面から抱き締めた。
「好きだ」
何もかも予定通りにいかなかった。ムードもない街角で、何度も考えた告白のセリフも思い出せなくて、渡そうと思っていた花束だって無い。それでも。
「好きなんだよ……ちゃんが」
「木村さん」
涙交じりの声を泳いで白い花がゆらゆらと揺れる。ぎゅっと抱き締め返す細い体が「私も好きです」と耳元でささめいた。
泳ぐ花
2021/7/15