「揃いも揃ってひでぇツラだなお前ら」
青木さんのぼやきを合図にカウンターの隣に座っている木村さんと顔を見合わせた。
「店が忙しいんだよ!毎日毎日クリスマス用の凝ったアレンジ、ラッピング!ポインセチアの配達もひっきりなしな上に、最近じゃしめ縄の注文まで入ってくる。一応オレ、本職ボクサーだよ?今月グローブより軍手はめてる時間の方が長いっつーの!」
普段よりも心なしか腫れぼったい二重を吊り上げる木村さんに対して厨房から返ってきたのは、中華鍋を振る音と「あっそ」と一言、取って付けたような青木さんの相槌だった。
「
ちゃんは?」
よくぞ聞いてくれました。青木さんから話を振られ口を開くきっかけを与えられた私は喉元まで出かかっていた鬱憤を一気に外へ吐き出した。
「私も今ものすごーく大変なんです、仕事!年末に向けて業務も増えてるのに再三周知しても提出物全っ然出してくれないですし、上司は締め切り過ぎて書類の書き方聞いてくるし、源泉徴収票明日欲しいとか無茶言ってくるバイトの子はいるし、忘年会の幹事押し付けられて最近は経理まがいの仕事までさせられてそれから……」
「で、その忙しいお二人さんが合間を縫って、人の店で仲良くデートでも洒落込もうってかい」
こんこんと湧き出る私の愚痴を止めた青木さんの声にもう一度木村さんと顔を見合わせる。今回はお互い一瞬で目をそらしてしまったけれど。
「茶化すな青木!
ちゃん気ぃ悪くすんだろ」
「今日はいわば決起会です!クリスマスまであと一週間、おいしいもの食べてお仕事頑張りましょうっていう……青木さん、ブロッコりーめんお願いします!」
「オレはマーボー定食、ラーメンはチャーシューめんに変更な」
「ギョウザも追加でっ」
「へーへー」
そう、今日青木さんのお店にご飯を食べに来たのは、仕事に疲れた社会人が行き着きがちな欲望「ラーメンが食べたい」という私の願いに、同じく仕事に疲れた木村さんが乗っかってくれただけのコトだ。12月も半ばを過ぎた。とっくにサンタクロースを信じるような歳でもなくなった私たちはクリスマスケーキのデコレーションよりも目の前のお客が満足する飾りつけを花束へ施す方が先で、枕元のプレゼントよりも期日内に完成した書類がデスクに置かれているのを心待ちにしているのだ。それが大人になるというコト。
だから隣でマーボー豆腐を頬張っている彼の一週間後を気にしているのは、きっと大人になりきれない私だけなんだと思う。
木村さんはクリスマスどう過ごすんだろう。約束あったりするのかな。聞く勇気もないのに忙しない日々のふとした瞬間、考えるのはこんなコトばかり。なにも木村さんの25日が全部欲しいワケじゃない。ただ、街路樹のイルミネーションもデパート前の大きなクリスマスツリーも通勤のお供で終わってしまうのは味気なくて、できればこの大好きな横顔が隣にいて欲しいと夢見ているだけ。
「さてと、この後どうする?」
「お腹いっぱいですけど口直しにあったかいコーヒーでも飲みたいですね」
「いいねえ。行こうぜ」
念願のラーメンをたっぷり堪能して店を出たあと、次の目的地へ歩き出す背後で先ほど閉めた扉がまたもや開いた。
「おい
ちゃん」
ひょっこり顔を出したのは厨房の中から私たちを見送った青木さんだった。
「忘れモンだぜ」
「あ!ありがとうございます」
「気いつけな。じゃあな」
忘れ物というより「落とし物」だ、コレは。手渡されたモノを見た私は心の中でため息をついた。青木さんから受け取ったのは店の中で出した記憶のない定期入れ。実は前々からストラップを繋ぐ金具の部分が壊れている。今日もバッグの持ち手にストラップ部分を引っかけてはいたものの、財布を出す時にでも外れて滑り落ちてしまったんだろう。もしも落としたのが別の場所なら手痛い出費になることだった。
「木村さん。今日は駅前の喫茶店行ってもいいですか?」
自然と待ち合わせによく使うジム近くの店に向かって歩き出す足に待ったをかけ、木村さんに聞いてみる。
「ん?何か用事?」
「帰りに近くの雑貨屋さん寄りたいんです。コレ、金具緩んじゃってて……また落とす前に新しいの買っておこうと思いまして」
「あー」
駅前も今向かっている喫茶店も距離はさほど変わらない。どちらもそこらにあるチェーン店。「お願い」の体を装いながらも当然呑んでもらえる用件だと思っていたので
「や、今日はいつものとこにしねえか」
と、まさか断られるのは予想外だった。
「なっ、何かお気に召さない理由でも?」
「えーっと。それは、ほら。駅前は混んでるかもしれねえし」
「……いつもそんなコト言わないのに」
こんな些細な内容、いや、そうでなくったって普段の木村さんなら明確な理由も無く首を横に振ることはまずない。明らかに駅前を避けているのが透けて見える返答がどうにも気になって、普段の私なら「そうですか」で済ませるところを木村さんへ詰め寄った。
「なんかアヤシイです」
「んなコトねえって」
のろのろと歩きながら押し問答を繰り返す、そんな私たちの横をふいに甘い風が通り過ぎた。追い抜いた影を無意識に目で追うと、細身のコートに身を包んだ女の人が早足で駅方面へ続く横断歩道を渡る姿が目に入る。すらりと伸びた脚線美と艶やかな黒髪から分かる、器量の良さ。そこで考えたく無かったひとつの仮説が流星群のように脳裏に瞬いた。
「もしかして、私と二人でいるのを見られたくない方でもいらっしゃいますか?」
己の口から出てきたセリフは想像以上に自身にとってショックだったらしい。瞬間的にこみ上げてきた涙をどうにかこらえてなんともない素振りを装う。
人の集まる駅周辺では自然と綺麗な人が集まっていて、時にはドラマに出ていてもおかしくない容姿の人だっている。その中の誰かと木村さんはいい雰囲気なのかもしれない。クリスマスの近い時期、私との仲を誤解されたくないのかもしれない。例えば横断歩道を渡り終えたあの人みたいな……それなら木村さんが駅前を避ける理由にも説明がつく。
「
ちゃん?!」
「古着屋の店員さんかな。美人の方多いですもんね」
「違う違う!違うってば!――ああ、もう言っちまうよ!」
一瞬歩みを止めた木村さんは、そのまま歩き続ける私の前に小走りで立ちはだかった。違う、とすぐに否定が入ったのにはほっとしたけれど、それならますます木村さんの意図が分からない。低い唸り声と共に何度かもごもごと口を動かした後、観念したように木村さんはぽつりとつぶやいた。
「用意してんだ」
みるみるうちに木村さんの顔が赤くなる。
「定期入れ、前から新しいの欲しいって言ってたろ?だからクリスマス近えし、プレゼントに渡そうって……買ってある」
木村さんの話を聞きながら私も徐々に顔が熱を持つのが分かった。
「ビックリさせようって黙ってたんだけど。あー、めちゃくちゃダセエ……」
まさかの展開に言葉が出てこない。木村さんへかける第一声を探しあぐねている間に、木村さんは口元を覆う手を下ろして背筋をぴっと伸ばした。
「こーなりゃ聞くけどよ、
ちゃん!」
「はいっ!」
「クリスマス。予定あんの?」
渾身の力で否定を表すと木村さんは続けた。
「近々会う約束してる男は」
「いないですよ!そんな人っ!」
「なら……オレとどっか行かねえか」
心臓の辺りから熱い溶岩みたいなものがじわじわ広がってゆく。息がつまって、とりあえず首を縦に振ることで返事をする。
「つっても当日は店手伝んねえとだから、夜になるんけど」
「何時でも構いません。ぜひ、お願いします」
「ホントに!?っしゃ……」
木村さんは結んだ握りこぶしを解いて一つ咳払いをした。
「じゃあ行くか。えっと、駅前の」
「いつものとこで大丈夫です。ゴメンなさい」
やっぱりイルミネーションとツリーは7日後まで取っておきたい。改めて行き先を当初の目的地に設定して、再び私たちは歩き出した。火照る顔を隠しつつ隣を盗み見る。きまりの悪そうな横顔の後ろに広がるただの街並みが、なぜだかまるでパレードのように煌めいて見えた。
7th Nightに逢いましょう
2021/12/19